所得や資産の違いを分析に取り込む:Heterogeneous Agent New Keynesian (HANK) Model

家計の所得や資産の違いを考慮した時の金融政策の波及メカニズムなどをみていきます(それ以外の要因は考えません)。所得や資産に関する家計間の違いが、金融政策の波及効果にどのように影響してくるのかを分析するメカニズムは、色々な論文が提示しています。その中の1つにAuclert[2019]という論文がありますが、そこでは大きく、①以前もやった異時点間代替効果、②所得変動を通じた効果、③資産や負債の変動を通じた効果に分かれています。②の効果については、所得の金額・構成や雇用環境の違いが、金融政策による所得変動に違いをもたらすほか、(金融政策前の)所得額が違うと所得が増えた時に消費に回す割合が異なる(「金融危機と経済格差(2024/07/07)」)ため、こうした違いも考えられます。③の効果については、資産や負債の構成(資産の種類や負債の割合など)や金額の違いを通じた効果の違いが考えられ、この中には所得と同様に、資産や負債の変動に対して、消費を変動させる割合の家計間の違い(「金融危機と経済格差(2024/07/07)」でも紹介したJohnson,Perker, and Souleles[2006]でも、流動資産が少ない家計ほど、消費を変動させる割合が高くなると指摘)も含まれます。

通常の家計間の異質性を考慮していないニューケインジアンモデルはRepresentative Agent New Keynesian (RANK) Modelといわれている一方で、こうしたメカニズムを組み込んだモデルは一般にHeterogeneous Agent New Keynesian (HANK) Modelといわれています。

Kaplan,Moll, and Violante[2018]では、こうしたHANKモデルを分析し、異時点間代替効果による家計消費への影響は1/3以下であり、それ以外の効果の方が大きくなると指摘しています(RANKモデルの場合は、ほぼ異時点間代替効果となるので、これは大きな違いといえます)。一方で、RANKモデルの世界では、ゼロ金利制約にさえ陥らなければ、金融政策で家計の生涯の効用が最大となるような、最適な状態を形成することが可能であるという分析結果が得られるのですが、HANKモデルの場合にはこれが不可能であり、財政政策が重要な役割を果たす可能性があるという結果も得ています。

このように、RANKモデルとは違った示唆が得られるHANKモデルですが、一方で課題も指摘されています。Acharya et al.[2023]では、HANKモデル(Bayer,Born, and Luetticke[2024])とRANKモデル(Smets and Wouters[2007])の推計精度を計算することができるツールキットを開発し(詳細は論文参照)、両者の推計精度を比較した結果、RANKモデルの方が推計精度が高くなるという結果を示しています。この理由について、論文では、定常状態に影響を与えるようなパラメータをカリブレーションにより与えていることが一因であると指摘し、今後の課題となりうるとしています。

Debortoli and Gali[2024]では、HANKモデルの計算が非常に重くなることから、RANKモデルや、家計をRANKモデルが仮定する通常の(ライフサイクル仮説に従う)家計と、ライフサイクル仮説に従って生涯の消費を平準化して生活するためには、所得の少ない若い時期などには借り入れが必要になることもあると思いますが、何らかの理由でこうしたことに制限がかかっていて、消費行動がライフサイクル仮説ではなく、各期の所得に影響された動きになるような家計の2パターンに分類したモデル(Two-Agent New Keynesian Model: TANK Model)のような、より計算が簡単なモデルで推計することができないかどうかを検討しています。論文では、①借り入れに関する制約がないが、保有する資産が全て非流動資産(すぐに現金化できないような資産で、消費活動の制約になるようなもの)の場合をHANK-Ⅰ、②借り入れに関する制約があり、なお且つ保有する資産が全て非流動資産の場合をHANK-Ⅱ、③借り入れに関する制約があり、保有する資産が非流動資産と流動資産の2種類である場合をHANK-Ⅲとし、RANKモデルやTANKモデルで近似できないか検討を行っています。論文では、①については、RANKモデルが良い近似になるとしており、②については、先ほどの基本的なTANKモデルでは近似できないが、借り入れに関する制約が生じている方の家計について、いくつかの条件を追加(借入に関する制約のない家計と同程度の非流動資産を保有することや、制約のない家計よりも労働生産性が低いこと、絶えず借入制約に陥っていること)することで、良い近似が得られるとしています。③については、②のTANKモデルの借入制約にある家計について、さらに裕福な家計(非流動資産が特に多い)とそれ以外にわかれるとして分析すると、良い近似が得られるとしています。

因みにこの点については、財政政策の効果、より正確には財政赤字を生じるような政策効果を分析するような場合にはあてはまらないとする指摘を、Auclert,Rognile, and Straub[2018]ではしています。財政赤字を生じるような政策を行う場合には、将来の増税もセットになるため、政策ショックによる所得変化や、これが消費に向かう効果を、短期だけではなくより長期についても分析する必要があるのですが、論文では、このあてはまりがRANKモデルやTANKモデルではあまりよくないという指摘をしています。

また、HANKモデルによる分析の難しさも指摘されており、例えばAlves et al.[2020]では、米国経済の分析を通して、使用する基礎データが違うことで、金融政策により喚起される家計消費の大きさが大きく異なることを示しています。また、Bhandari et al.[2021]とMcKay and Wolf[2023]では、共に同じ時期の米国経済を分析していますが、ここでは、モデルの細かな設定の違いにより、前者では資産が少ないほど金融緩和による消費喚起が大きくなり、後者では消費喚起効果は比較的同じくらいという結果となっています。

実はBhandari et al.[2021]とMcKay and Wolf[2023]はともに最適な金融政策(家計の生涯の効用が最も高くなる金融政策)について検討している研究で、金融政策を決定する時に経済格差を考慮するべきか否かを考えているのですが、前者の場合ですと、資産が少ない層ほど金融緩和による消費喚起の効果が高いと出ているので、例えば消費格差が縮小するような金融政策は、トータルの消費喚起効果も高めるため、望ましいということになります。一方で、後者の場合ですと、むしろ消費の格差が縮小することを目標に金融緩和政策を行った場合には、生産やインフレ率が過剰に引き上がってしまう可能性もあるため、望ましくないということになります。

Acharya, Sushant,William Chen, Marco Del Negro, Keshav Dogra, Aidan Gleich, Shlok Goyal, Donggyu Lee,Ethan Matlin, Reca Sarfati, and Sikata Sengupta(2023).”Estimating HANK for Central Banks,” Staff Reports No.1071, Federal Reserve Bank of New York.

Alves,Felipe Alduino, and Sushnt Acharya(2024).”How Changes in the Share of Constrained Households Affect the Effectiveness of Monetary Policy.”Staff Analytial Note No.2024-3, Bank of Canada,2024.

Auclert, Adrien(2019). “Monetary Policy and the Redistribution Channel.” American Economic Review, 109 (6): 2333–2367.

Auclert, Adrien,Matthew Rognlie, and Ludwig Straub(2018).”The Intertemporal Keynesian Cross,” NBER Working Papers 25020, National Bureau of Economic Research.

Bayer, Christian, Benjamin Born, and Ralph Luetticke(2024).”Shocks, Frictions, and Inequality in US Business Cycles.” American Economic Review, 114 (5): 1211–1247.

Bhandari,Anmol,David Evans, Mikhhail Golosov, and Thomas j. Sargent(2021).”Inequality, Business Cycles, and monetary-Fiscal Policy,”Econometrica,89(6):2559-2599.

Kaplan, Greg, Benjamin Moll, and Giovanni L. Violante(2018).”Monetary Policy According to HANK.” American Economic Review, 108 (3): 697–743.

McKay, Alisdair, and Christian K. Wolf(2023).” Optimal Policy Rules in HANK.”mimeo.

Smets,Frank and Raf Wouters(2007).“Shocks and Frictions in US Business Cycles: A Bayesian DSGE Approach,” American Economic Review,97 (3):586 – 606.

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