いろいろと脱線してきましたが、次に、以前の投稿(「所得や資産の違いを分析に取り込む:Heterogeneous Agent New Keynesian (HANK) Model(2014/07/12)」)で紹介したAuclert[2019]が指摘する、所得や資産・負債の変動を通じた金融政策の波及効果をみていこうと思います。
まず、このうち所得の変動を通じた効果についてみていこうと思います。金融政策の波及効果に異質性が生じるメカニズムとしては、所得の収入源が異なることが指摘されています。例えば、所得の源泉としてまず上がるのは給料(これは労働所得といわれます)だと思いますが、一方で、人によっては失業給付のような政府からの移転所得に頼る場合や、所得の高い層では、事業所得や資産所得(もしくは複数の収入源がある)という場合も増えると思います(こうした点については、Amaral[2017]やSmith,Zidar, and Zwick[2023]が参考になります)。また、高齢層では年金を受け取る人も多いでしょう。ただ、金融政策に対する感応度は所得の種類で異なっていると考えられ、例えばAmaral[2017]では、失業給付や年金のような移転所得は比較的感応度が低くなると説明しています。
金融政策の効果を推計したものではありませんが、参考のため、GDPなどの公表を行っている内閣府の国民経済計算という統計のデータをみてみようと思います。この統計では、日本国内の生産や支出に関する統計データが網羅的に作られているほか、一年間の生産によって得られた付加価値が、どのように分配されるのか、所得項目・部門(家計部門、企業部門、政府部門など)別にデータが作られています。さらにいえば、ストック関連の項目も作られているのですが、こうした一連のデータセットは、毎年年末付近(年末と翌年の1月頃)に、前年度末までの四半期・年・年度レベルのデータが公表されており、直近では2023年12月と24年1月に、2022年度(2023年1-3月期)までのデータが公表されています。
ここではこの2022年度までのデータ(具体的には年ベースの数字)を用いて、労働所得(統計では雇用者報酬という項目)と、その他の所得(事業所得や財産所得、さらに各種給付)も含めた家計部門のトータルの所得項目である、可処分所得の前年比の動き(名目ベースではありますが)を、2007年以降についてみてみようと思います。ただし、可処分所得については、所得税の支払いや罰金の支払い、仕送りといった項目を勘案したものになっているため、この項目については考慮しないベースのデータをこちらで作って、前年比をとります。
そのようにして得られる前年比の動きが下のグラフなのですが、これをみると、世界金融危機の影響を受けたと考えられる2009年に雇用者報酬の落ち込みが大きくなっていることや、異次元の金融緩和政策の影響が考えられる2014年以降には、逆に雇用者報酬の上昇が大きくなっている様子が伺えます。

(出典)2022年度国民経済計算年次推計を基に作成。
以上はただデータをみてみただけですが、きちんと金融政策の効果を計測した研究もあります。こうした研究には、金融政策が家計の所得格差にどのような影響を及ぼすのかという観点から分析しているものも多くあります。この問題自体は、様々な著名人から異なる指摘が出ており、現在も結論が出ていないものではありますが、例えば(ゼロ金利以上の範囲で)政策金利の操作を行う伝統的金融政策に関する研究の1つであるCoibion et al.[2017]という、米国経済を分析したものをみてみると、政策金利の引き上げにより、家計の所得格差は拡大するとしており、そのメカニズムとして、所得の種類によって、金利上昇に対する感応度が異なることをあげています。
また、先ほど出てきた異次元の金融緩和政策もそうですが、一般に非伝統的金融政策と呼ばれるものもあり、そうしたものの1つである、大規模資産購入政策の効果を米国について研究したJuan-Francisco,Gomez-Fernandez, and Ochando[2019]という研究でも、所得の種類によって金融政策の波及効果が異なることが影響し、所得格差は拡大すると分析しています。
このように、所得の種類の違いが重要なメカニズムであるとする指摘は多くみられます。ただ、金融政策と所得格差に関する研究をみてみると、他にも指摘がされており、例えば、労働所得の役割に関する指摘がみられます。こうした研究の1つとして、ユーロ圏10か国を対象に、伝統的金融政策の効果を分析したSamarina and Nguyen[2024]では、政策金利の引き下げにより、所得格差は縮小するが、そのメカニズムとして、労働所得を通じた効果が重要であると指摘しています。一方で、論文では、金融所得の果たす役割は限定的であるともしています。32の先進・新興国について分析したFurceri,Loungani, and Zdzienicka[2018]でも、政策金利の引き上げにより所得格差が拡大することを示していますが、そのメカニズムとして、やはり労働所得を通じた効果が重要であると指摘しています。非伝統的金融政策の大規模資産購入政策の研究でも、ユーロ圏について分析したHoghberger,Prifits, and Vogel[2020]では、政策により所得格差は縮小するという結果を報告しており、このメカニズムとして、労働所得を通じた効果が重要であると指摘しています。
このことは、所得階層毎の所得構成の違いによる影響(つまり、ここで説明してきた所得の種類の違いによるもの)ということも考えられますが、ただ、労働所得というのは、比較的多くの所得階層で主要な収入源となっていることが予想され、単純にそういう話なのかというと、そうは言いきれないように思います。
さらに言えば、伝統的金融政策の効果を米国について分析したChang and Schorfheide[2024]という研究では、政策金利の引き下げにより所得格差は縮小されるが、失業率の縮小による労働所得の上昇が、このことに大きな役割を果たしていると指摘しており、また大規模資産購入政策の効果をユーロ圏4ヵ国(ドイツ、フランス、イタリア、スペイン)について分析したLenza and Slacalek[2021]でも、失業率の改善により、所得格差が縮小すると報告しています。
以上のことを踏まえると、労働所得については、より細かく整理する必要があると感じられます。そこで、次回は、労働所得を通じたメカニズムについて、もう少し掘り下げて整理してみようと思います。
Amaral, Pedro S.,(2017).”Monetary Policy and Inequality,” Economic Commentary, Federal Reserve Bank of Cleveland, issue January.
Auclert, Adrien(2019). “Monetary Policy and the Redistribution Channel.” American Economic Review, 109 (6), 2333–2367.
Chang ,Minsu, and, Frank Schorfheide(2024).”On the Effects of Monetary Policy Shocks on Income and Consumption Heterogeneity.”NBER Working Paper No.32166.
Coibion, Olivier, Yuriy Gorodnichenko, Lorenz Kueng, and John Silvia(2017).”Innocent Bystanders? Monetary policy and Inequality.”Journal of Monetary Economics,88,70-89.
Furceri,Davide, Prakash Loungani, and Aleksandra Zdzienicka(2018).”The Effects of Monetary Policy Shocks on Inequality.”Journal of International Money and Finance,85,168-186.
Hohberger, Stefan,Romanos Priftis, and Lukas Vogel(2020).”The Distributional Effects of Conventional Monetary Policy and Quantitative Easing: Evidence from an Estimated DSGE Model.”Journal of Banking & Finance,113,105483.
Juan-Francisco, Albert, Nerea Gómez-Fernández, and Carlos Ochando(2019).”Effects of Unconventional Monetary Policy on Income and Wealth Distribution: Evidence from United States and Eurozone.” Panoeconomicus,66(5),535-558.
Lenza,Michele, and Jiri Slacalek(2021).”How Does Monetary Policy Affect income and Wealth Inequality? Evidence from Quantitative Easing in the Euro Area.”CEPR Discussion Paper DP16079.
Samarina, Anna, and Anh D.M. Nguyen(2024).”Does Monetary Policy Affect Income Inequality in the Euro Area?” Journal of Money, Credit and Banking,56(1),35-80.
Smith, Matthew, Owen Zidar, and Eric Zwick(2023).”Top Wealth in America: New Estimates Under Heterogeneous Returns.”The Quarterly Journal of Economics,138(1),515–573.
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