それでは、金融政策の労働所得への波及メカニズムをより詳しくみていこうと思います。様々な研究の中では、金融政策の波及メカニズムとして、(単位時間当たりの)賃金、労働時間、失業率への影響がよく考慮されているようです。例えばAmaral[2017]では、雇用調整に直面しやすい家計(低所得層や非正規雇用者)の労働所得は、失業率や労働時間の変動の影響を強く受ける一方、それ以外の家計の労働所得は賃金変動の影響をより強く受ける傾向にあると説明しています。このため、金融政策の影響がどういった形で現れるのかは、その効果がどういった層により強く現れるのかということに大きく影響することになります。
実証分析をみてみると、ドイツに関する分析を行ったMitman,Broer,and Kramer[2022]では、金融政策に対して、低所得層の労働所得がより弾力的であることを示し、その主な要因として、低所得層では失業リスクがより高いことを挙げています。オーストリアについて分析を行ったGulyas,Meier, and Ryzhenkov[2024]でも、同様の結果を報告しています。前回紹介したChang and Schorfheide[2024]やLenza and Slacalek[2021]、他にも、米国の大規模資産購入政策の効果が格差に及ぼす影響を分析したLee[2024]でも、失業率を通じた効果が、ジニ係数(格差)に影響を及ぼすと指摘しています。
さらに、新型コロナウイルス感染症下では、労働市場の負の影響に家計間で異質性があったとする指摘がされていますが(Chetty et al.[2024]、Kikuchi,Kitao,and Mikoshiba[2020,2021]、Hoshi et al.[2021])、Bergman,Matsa, and Weber[2022]では、米国の分析から、コロナ禍に導入された柔軟なインフレ目標(一定期間のインフレ率の平均値が目標に達することを目指す)の下での金融政策は、労働環境が厳しい人の雇用をより押し上げる効果を持つと分析しています。
一方で日本について金融政策が格差に及ぼす影響を分析した乾・須藤・山田[2017]では、1980~90年代の伝統的金融政策実施期間の勤労者世帯の分析から、金融緩和ショックに対して、労働所得の格差拡大の影響により、総所得の格差も拡大するとしており、これは賃金格差の拡大の影響を指摘しているといえます。また、Faia,Kudluyak, and Shabalina[2023]では米国について分析を行い、金融政策によって高所得層の賃金が直接的に影響を受ける(金融引き締めショックにより、賃金が下がる)と指摘しています。
日本に関する分析を他にあげると、金融政策ショックの反応をみたものではありませんが、Fukai et al.[2023]では、為替レートの変動に対して、非正規の雇用者では雇用量の調整が行われ、正社員については賃金の調整が行われると指摘しています。
さらに、所得の低い層については近年、より細かい分析も行われています。例えば先ほどのFaia,Kudluyak, and Shabalina[2023]では、低所得層については、金融引き締め政策を行った場合に生じる失業者の一部が、完全に労働市場から退出してしまうことを指摘し、このため、労働市場に残るものの賃金の平均値の動きをみると、僅かに上昇する様子がみられるとしています。一方で、やはりこれも先ほど紹介した、オーストリアについて分析を行ったGulyas,Meier, and Ryzhenkov[2024]では、金融引き締め政策による労働市場からの退出の動きは特に検出されず、平均的な賃金は低下するという結果を得ています(もう少し細かく言えば、失業した(非正規)労働者が、より低い賃金で異なる会社に雇用されるという結果を得ています)。日本については、中井[2017]が、非正規雇用の賃金は労働市場の需給変動の影響を大きく受けるとする分析を行っています。
また、Gulyas,Meier, and Ryzhenkov[2024]では、金融引き締め時の低所得層の雇用量の調整の特徴として、相対的に賃金の良い企業で高まるとする指摘をしており、この要因について、こうした企業の労働者の再就職の条件は比較的良いため、退職が増えると説明しています。ただ、要因については異なる指摘をする研究もみられ、例えばBurya et al.[2022]では、企業の労働市場支配力(Labor market power)の高さが影響していると指摘しています。
ところで、実際のところ、金融政策は所得格差にどのような影響を及ぼしているのでしょうか?格差が拡がるのか、縮まるのかもそうですが、いろいろと調べてみると、特に非伝統的金融政策である、大規模資産購入政策では、所得格差が影響を受けないという分析結果も結構報告例されていて、例えばイタリアについて分析したCasiragi et al.[2018]という研究では、大規模資産購入政策に対して、労働所得の格差は縮小するが、一方で総所得の格差は変わらないと報告しています。米国の大規模資産購入政策についても、Namini[2022]では、所得格差への影響はみられないという結果を得ています。さらにユーロ圏10か国の分析を行ったCreel and El Herradi[2024]という研究では、非伝統的金融政策についてはいずれの国でも所得格差に影響は現れず、伝統的金融政策についても、影響はあまり大きくなく、所得格差が大きな国の場合だけ、金融政策に対して反循環的な反応(これは、金融緩和政策に対しては、所得格差が縮小するような反応)になると報告しています。
因みに、今回みてきた金融政策の効果は、労働需要(企業の)に関連するチャネルをみてきました。よくよく考えてみると、家計の労働供給にも何らかの影響が及ぶように思われますが、調べてみると、実際の金融政策でも、労働需要への波及効果に重きをおくとする発言がみられ、例えばPowell[2022]では、労働供給はFedの領域ではなく、主に労働需要に重きを置いているといった趣旨の指摘をしています。また、ケインジアンのIS-LMフレームワーク(Gali[2013])や標準的な賃金硬直性の仮定をしたニューケインジアンモデル(Broer et al.[2020]、Auclert,Bardoczy, and Rognile[2023])に関する研究でも、同様のことを言っています。ただ、その一方で、近年では金融政策が労働供給に及ぼす影響を分析した研究もでてきているみたいです(White[2018]、Nakamura,Sudo, and Sugisaki[2021]、Kubota,Muto, and Shintani[2022]、Graves,Huckfeldt, and Swanson[2023]、Ma[2023])。
さて、ここまで金融政策が家計の所得に及ぼす影響の異質性のメカニズムについて整理してきましたが、消費への波及効果までを考えると、以前も触れた所得の上昇に対して、それを貯蓄ではなく消費に回す度合いである、限界消費性向の違いも重要な要素であるといえます。そこで次回は、この限界消費性向の家計間の違いについて、改めて整理してみたいと思います。
Auclert,Adrien, Bence Bardóczy, and Matthew Rognlie(2023).”MPCs, MPEs, and Multipliers: A Trilemma for New Keynesian Models.”The Review of Economics and Statistics,105(3),700–712.
Amaral, Pedro S.(2017).”Monetary Policy and Inequality,” Economic Commentary, Federal Reserve Bank of Cleveland, issue January.
Bergman,Nittai, David A. Matsa, and Michael Weber(2022).”On the Effects of Monetary Policy Shocks on Income and Consumption Heterogeneity.”NBER Working Paper No.29651.
Broer,Tobias, Niels-Jakob Harbo Hansen, Per Krusell, and Erik Öberg(2020).”The New Keynesian Transmission Mechanism: A Heterogeneous-Agent Perspective.”The Review of Economic Studies,87(1),77–101.
Burya, Anastasia,Rui Mano,Yannick Timmer, and Anke Weber(2022).”Monetary Policy Under Labor Market Power.” IMF Working Paper No. 2022/128.
Casiraghi, Marco, Eugenio Gaiotti, Lisa Rodano, and Alessandro Secchi(2018).”A “reverse Robin Hood”? The Distributional Implications of Non-Standard Monetary Policy for Italian Households.”Journal of International Money and Finance,85,215-235.
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Creel, Jérôme, and Mehdi El Herradi(2024).”Income Inequality and Monetary Policy in the Euro Area.”International Journal of Finance & Economics,29(1),332-355.
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Fukai Taiyo,Daiji Kawaguchi,Ayako Kondo, and Izumi Yokoyama(2023).”How Do Firms Attain Internal and External Flexibility of Employment?”RIETI Discussion Paper Series 23-E-089.
Gali,Jordi(2013).”Notes for a New Guide to Keynes (I): Wages, Aggregate Demand, and Employment.”Journal of the European Economic Association,11(5),973–1003.
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Kikuchi, Shinnosuke,Sagiri Kitao, and Minamo Mikoshiba(2020).”Heterogeneous Vulnerability to the COVID-19 Crisis and Implications for Inequality in Japan.”RIETI Discussion Paper Series 20-E-039.
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乾真之・須藤直・山田知明(2017)、「金融政策と所得・消費のばらつき―日本のデータを用いた検証―」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズNo.17-J-6、日本銀行
中井雅之(2017)、「マクロ経済からみる労働需給と賃金の関係」、玄田有史編『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』、慶應義塾大学出版会
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