限界消費性向は、マクロ経済の教科書でも頻繁に出てくる有名な概念ですが、ここではそれを計測している取り組みをいくつか紹介したいと思います。一番よくみるものとしては、何らかの給付のような財政政策的なことがあった時に、消費がどのように反応するのかをデータから見ていくというものです。
こうした研究の1つとして、2000年代初頭の米国の景気後退時の財政政策の効果を分析したJohnson,Parker, and Souleles(2006)というものがあります。この景気後退はマンキューマクロ経済学でも取り上げられており、非常に有名な出来事であるといえ、いわゆるITバブルの崩壊や、9.11の同時多発テロ、それから一部大企業での不正会計事件などが起こり、株価の下落などを通じて企業だけではなく家計の総需要も押し下げ、経済の失速をもたらしたわけですが、この際米国政府は、テロ事件からの復興などに予算を割くとともに、即時的な税還付を含む大型減税を行っています。論文では、この時米国政府が消費を支えるために成立させた、The Economic Growth and Tax Relief Reconciliation Act of 2001に基づいて、2001年6月から9月にかけて行われた所得税還付の効果を分析しています。
分析は米国労働統計局(U.S. Bureau of Labor Statistics、BLS)が消費者単位(Consumer Unit)-日本の家計調査などでいうところの世帯に近い概念-に対して行っている消費者支出調査(Consumer Expenditure Survey)のデータを用いています。消費者支出調査にはインタビュー調査と家計簿調査が行われていますが、ここではインタビュー調査の中に、通常はないものではあるのですが、還付のタイミング(実務上の制約で、当時の還付金の支払い時期にはばらつきがあった)とその金額について質問する項目を特別に設けて、データを収集しています(論文には、筆者やBLS職員・その他政府機関が項目の設置を働きかけたと説明があります)。
また、分析はいわゆる差の差分析という方法を用いています(この方法については、例えば山澤成康跡見学園女子大学教授の「経済統計の使い方」のページ(https://officekaisuiyoku.com/diddesign/)がわかりやすいです)。こういった実際にあった出来事の影響が現れると思われる時点のデータを収集し、それを分析していく方法は、自然実験と呼ばれていて、限界消費性向などの分析では頻繁に用いられているようです。分析結果からは、保有する流動資産が少ない家計や所得が少ない家計、さらには年齢が若い家計ほど、非耐久財の消費支出で測った限界消費性向が大きくなるという結果が得られています。
因みに、自然実験はまだ、世の中で起こった出来事に関連するデータをとって、それを分析するというスタンスですが、もういっそ本当に実験をしてしまいましょうというような考え方の手法もあり、有名なものにランダム化比較実験(Randomized controlled trial、RCT)というものがあります。これはつまり、完全に調査対象の属性をコントロールした実験空間を複数作り、その中で効果を見たい刺激を加え、また1つの集団は比較対象として、そういったものを加えないものとして残し、刺激を加えることが、実験者が計測(注目)する指標にどういった影響を及ぼすのかを分析するというものになります(この方法についても、先ほど述べた山澤氏のページ(https://officekaisuiyoku.com/rct/)に解説や具体例がありますし、またこのページでは、先ほどの差の差分析を準実験、ランダム化比較実験は”準”のとれた実験であり、よりエビデンスの質が高い手法と紹介しています)。マクロ経済、それこそ金融政策の関連でどんな研究があるのかということですが、調べた範囲では、例えば家計や企業のインフレ予想の形成メカニズムの分析方法として、影響を及ぼしそうな要因を先ほどの刺激と捉え、実際にインフレ予想に影響があらわれるのかを調べた研究があります(これはまたどこかで扱えれば)。
次に、異なるアプローチをした研究をみてみたいと思います。Fagereng,Holm, and Natvik(2021)では、宝くじの当選を所得のショックに選び、限界消費性向を分析しています。また、データにはノルウエーの税務データを使用していて、ここには所得や資産、納税額のデータがあるので、消費は可処分所得から貯蓄のフローを差し引いて求めるということをしています。ここでも流動資産が少ない家計や年齢が若い家計ほど、限界消費性向が大きくなるという結果が得られています。
もう1つ、Japelli and Pistaferri(2014,2020)では、イタリア中銀が国内の家計に対して行うアンケート調査(Survey on Household Income and Wealth、SHIW)の中で、例えば「仮に予期せず1か月分の所得が手に入ったとしたら、あなたはそのうちどの位を消費に回しますか?」といったような質問をし、そこで得られた結果を基に、分析を行っています。ここでは、手元に保有する現金が少ない家計ほど、限界消費性向が高くなるという結果を得ています。
理論的には、こうした異質性は流動性制約や予備的貯蓄の観点から説明をすることが一般的で、考え方としては、流動性制約に陥っていたり予備的貯蓄をしている家計は、ライフサイクル仮説が指摘する消費の平準化が行われず、そのため一部消費を我慢している状況にあることから、一時的な所得の増加に対して、消費が大きく反応するということになります。因みに、流動性制約を用いた説明としては岩崎ほか(2021)があり、予備的貯蓄を用いた説明としては、以前の投稿(「異時点間代替効果の異質性について:予備的貯蓄(2024/7/19)」)の補足資料(「予備的貯蓄と異時点間代替効果・限界消費性向(PDF、643KB)」)の後半部分で説明しているほか、先ほどのJapelli and Pistaferri(2014)でも、理論的な分析を行っています。
他にも研究を紹介すると、Kaplan and Violante(2014)では、家計を消費の平準化を異時点間で行う者と、流動性制約により各期の全所得を消費に充当するその日暮らし(hand-to-mouth)の状態の者に分類し、その日暮らしの家計の中には、所得・総資産は多いものの、資産形態が住宅などの非流動資産に偏っているために、流動性制約に陥っている者(こういった家計をwealthy-hand-to-mouth家計と呼んでいます)が存在すると指摘しています(もちろん、wealthy-hand-to-mouth家計も限界消費性向は高くなります)。さらに論文では、米国について、その日暮らしの家計は全体の25%から40%になるが、このうち3分の2がwealthy-hand-to-mouth家計であると分析しています。日本については、Hara,Unayama, and Weidner(2016)で、その日暮らしの家計の割合が13%程度であり、そのうち4分の3がwealthy-hand-to-mouth家計であると分析しています。
また、Koga and Matsumura(2020)では、理論的な分析や日本の実証分析(実証分析の方法はJapelli and Pistaferri(2014,2020)と同じ方法など)から、手持ちの資金が少ない家計に加えて、住宅ローンを抱える家計でも限界消費性向が高くなると指摘しています。同様のことは、失業が発生し所得の減少が起こる際の消費の変化をノルウエーについて分析したFagereng,Onshuus, and Torstensen(2024)でも指摘しており、ここでは、元々流動資産を多く保有している家計では消費の減少が小さくなることと、負債を多く保有する家計では消費の減少が大きくなることを示しているほか、流動資産を多く保有しかつ負債も抱えている場合には、負債の影響が強く現れ、消費の減少につながることを指摘しています。
因みに、資産の上昇がどれだけ消費を喚起するかという限界消費性向も分析されているのですが、これはまた別に整理しようと思います。
ところで、財政政策の効果については、ミクロデータで得られるほどの大きさがあるのかどうかという指摘もされており(例えばRamey(2019)など)、今回紹介したJohnson,Parker, and Souleles(2006)も、Orchard,Ramey, and Wieland(2023)で再検証されていたりしており、現在も議論が続いているようです。
それともう1つ、実際に流動性制約や予備的貯蓄のメカニズムをデータにあてはめていこうというような研究をみてみると、もっと他の要因も考慮した方がいいのではないかという研究もみられており、ここでは、これまでの説明で一貫して仮定してきた、完全情報下の合理的期待形成仮説について考えているものもあります。そこで、次はそういった研究をいくつかみてみたいと思いますが、関連事項を少し整理しながらすすめるつもり(要は少し脱線するということですが..)なので、少し回数を使うかもしれません。
Fagereng, Andreas, Martin B. Holm, and Gisle J. Natvik(2021). “MPC Heterogeneity and Household Balance Sheets.” American Economic Journal: Macroeconomics, 13 (4),1–54.
Fagereng, Andreas,Helene Onshuus, and Kjersti N. Torstensen(2024).”The Consumption Expenditure Response to Unemployment: Evidence from Norwegian Households.”journal of Monetary Economics(forthcoming).
Hara,Ryota,Takashi Unayama, and Justin Weinder(2016).”The Wealthy Hand to Mouth in Japan.”Economics Letters,141,52-54.
Johnson, David, S., Jonathan A. Parker, and Nicholas S. Souleles. 2006. “Household Expenditure and the Income Tax Rebates of 2001.” American Economic Review, 96 (5), 1589–1610.
Jappelli, Tullio, and Luigi Pistaferri(2014). “Fiscal Policy and MPC Heterogeneity.” American Economic Journal: Macroeconomics, 6 (4), 107–136.
Jappelli, Tullio, and Luigi Pistaferri(2020). “Reported MPC and Unobserved Heterogeneity.” American Economic Journal: Economic Policy, 12 (4),275–297.
Kaplan,Greg, and Giovanni L. Violante(2014).”A Model of the Consumption Response to Fiscal Stimulus Payments.”Econometrica,82(4),1199-1239.
Koga, Maiko, and Kohei Matsumura(2020).”Marginal Propensity to Consume and the Housing Choice.” Bank of Japan Working Paper No.20-E-3.
Ramey,Valerie(2019).”Ten Years After the Financial Crisis: What Have We Learned from the Renaissance in Fiscal Research?”Journal of Economic Perspectives,33(2),89-114.
岩崎雄斗・須藤直・中島誠・中村史一(2021)、「HANK 研究の潮流:金融政策の波及メカニズムにおける経済主体間の異質性の意義」、『金融研究』第40巻第1号、79-122
山澤成康(2024)、「経済統計の使い方-【計量経済学】DID分析|個別の差を除き、政策効果の差をとりだす」(https://officekaisuiyoku.com/diddesign/)
山澤成康(2024)、「経済統計の使い方-【計量経済学】RCT(ランダム化比較実験)|因果関係把握に最適」(https://officekaisuiyoku.com/rct/)
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