期待形成についてまとめる1

経済主体の期待の役割の重要性は、有名なルーカス批判(Lucas(1976))などを通して指摘されたわけですが、ルーカス批判は、それまでの伝統的な政策分析は政策の変更が人々の期待に影響を及ぼしその行動を変化させる点に注意を払っていないが、政策効果を推測する時には、こうした要因も考慮すべきであると指摘したものです。例えば、引き締め的な金融政策を行う場合、ケインジアンの考え方に従えば、価格が硬直的な短期の経済において生産や所得が減少し、また、古典派の考え方に従うと、長期の経済において価格の低下が生じると考えられますが、例えば政府や中央銀行が政策の情報を丁寧にアナウンスし、かつ家計や企業がそうした政府が発する情報を漏らさず・正確に把握し、今述べたような経済理論などを正確に駆使して将来起こることを合理的に予想する場合には、そのことが政策の効果に影響を及ぼす可能性があります。

こうした期待の役割の重要性が指摘される例としては、例えば非常に有名な出来事ですが、1980年前後の高インフレ下の米国で行われた金融引き締め政策(この時のFedの議長はポール・ボルカ―)と、その後のディスインフレーション(インフレ率の低下)で、この時には、ディスインフレーションを起こすことに成功する代償として大恐慌以来の失業率を記録することにはなったものの、事前に予想した水準よりは低く抑えることができたとされていますが、この1因として、ボルカーのインフレ抑制に対する強い姿勢などが信頼され、インフレ予想の低下を通じて実際のインフレ率に影響を及ぼしたことが指摘されています(これはマンキューマクロ経済学でも紹介されているので、詳しくはそちらをみてください)。

さらに、2000年代にかけて話題になったいわゆる”デフレ均衡”について言及したBullard(2010)も期待の役割の重要性に着目したものといえます。ここではゼロ金利に近い状況では、通常の正のインフレ率・名目金利の組み合わせが実現される均衡に加えて、金融緩和政策の限界を家計や企業が意識し、将来的にインフレ率の低下や、最悪デフレに陥ってしまうと予想した場合、このことを織り込んで行動するようになることで、ゼロ金利とデフレの組み合わせの均衡が実現する可能性があると指摘しています(このような複数の均衡が生じる状況は、協調の失敗モデルと呼ばれており、教科書的には例えばローマ―(2010)などで扱っています)。

このほか、櫻川(2021)では、バブルの発生メカニズムについて整理しています。ここでは、投資家の完全情報下の合理的期待形成を仮定していても、バブルは発生するということを指摘しています。例えば土地は総量が一定であるため、経済が成長すると土地の価格も上昇することになりますが、仮に経済成長率と土地価格の上昇率が等しく、一方で利子率は低いとした場合、投資家は低い利子率で資金を調達して土地の購入を行うことになり、これがバブルを発生させることになります(このため、一般に利子率が経済成長率を下回ることは、こうしたバブルが発生する条件となっています)。このようなバブルは合理的バブルといわれています(因みに、利子率が成長率を下回るのは金融市場が不完全な場合で、例えば企業が収益に対して株主に十分に還元しないような場合が考えられます)。

一方で、同書では、バブルの発生メカニズムはこれだけではなく、過剰な投機行動のような投資家の非合理的な行動も、バブルの要因となると指摘しています。他にも、プロの投資家に比べて一般の投資家は持っている情報が少ないことが多く、こうした一般投資家の資金の動きが、バブルを引き起こす可能性もあります。同様のことは例えばキンドルバーガー・アリバー(2014)でも指摘されています。また、2008年のリーマンショック前後の米国の投資家の行動について分析したジェンナイオーリ・シュライファ―(2021)では、住宅バブルが収縮し始めてからリーマンショックが発生するまでに時間がかかったことや、リーマンショック発生後に資産の投げ売りなどが起きた要因として、投資家が当時全ての情報を適切に用いて将来の経済を合理的に予想していたわけではなく、いわば“代表的”といえる情報により重きを置いた結果、リーマンショックが発生する前には、不動産バブルの収縮のような、一部のマイナスの情報を軽視してしまい、一方でリーマンショックの発生後には、こうした滅多に起きないような出来事を過大に重視した経済予想を行ってしまった可能性があると指摘しています。

翁(2022)では、家計の期待が大きな役割を果たした出来事として、昭和のトイレットペーパー・パニックと銀行取付をあげています。また銀行取付については、西畑(2022)が合理的なものと非合理的なものがあると指摘しており、前者の例として昭和金融恐慌の取付けやインディマック銀行・ノーザンロック銀行の取付けがあり、後者の例としては豊川信金・佐賀銀行・平成金融危機の1997年11月と12月の取付けがあるとしています。

さらに小林(2023)では、1990年代の日本の不良債権処理問題や2020年以降の新型コロナウイルス感染症対策を例に挙げて、こうした時には金融機関や感染状況などについて、国民がその時ほしい情報がなかなか出てこなかったり、完全には揃わなかったりすることから、こうしたことに伴う情報の不完全性が国民の経済活動にマイナスの影響を及ぼす場合があるため、例えば金融機関の検査を厳格・スピード感を持って行うことや、国民全員に対してPCR検査を行うといったことも重要となる可能性があるとしています。この論文よりも後に書かれた小林(2024)でも同様の指摘がされており、さらにここでは、2000年代以降の日本の金融政策についても、理論的なメカニズムの解明や適切な説明により、国民の情報の不完全性を減らして、適切な期待形成を行っていくことが重要であるとしています。

また、経済モデルの設定という観点で考えてみると、マクロ経済学では基本的に完全情報下の合理的期待形成仮説を仮定しているわけですが、これはつまり、経済主体は必要な情報を全て、正確に取得し、経済理論などを正確に駆使して、経済の将来予想を行うということになるわけですが(Sargent(1993))、世の中の家計や企業が、皆そのように行動しているのかと考えると、そうでもないなという気もします。

こう整理してみると、期待の役割の重要性や、期待形成のメカニズムをどう考えるかの重要性を感じることができたので、次回はそういった研究をもう少し調べてみたいと思います。ですので、まだ限界消費性向の話には戻りません..

Bullard, J.(2010)”Seven Facts of the Peril.”Federal Reserve Bank of St. Louis Review,September/October,339-352.

Lucas, Robert E. (1976) “Econometric Policy Evaluation: A Critique,” Carnegie-Rochester Conference Series on Public Policy, Volume 1, 19-46.

Sargent, Thomas, Bounded Rationality in Macroeconomics, New York: Oxford University Press, 1993.

翁邦夫(2022)、「人の心に働きかける経済政策」、岩波新書

小林慶一郎(2023)、「政策決定プロセスについてのコロナ禍の教訓」、RIETI Discussion Paper No.23-P-023

小林慶一郎(2024)、「日本の経済政策-「失われた30年」いかに克服するか」、中公新書

櫻川昌哉(2021)、「バブルの経済理論 低金利、長期停滞、金融劣化」、日本経済新聞出版社

キンドルバーガー・C.P.&R.Z.・アリバー(高遠裕子 訳)(2014)、「熱狂、恐慌、崩壊-金融危機の歴史-(原著代6版)」、日本経済新聞出版

ジェンナイオーリ・二コラ&アンドレイ・シュライファ―(貫井佳子 訳)(2021)、「金融危機の行動経済学 投資家心理と金融の脆弱性」、日本経済新聞出版

西畑一哉(2022)、「「取付け」の研究 平成金融危機から中央銀行デジタル通貨時代まで」、勁草書房

デビッドローマー(堀雅博・岩成博夫・南條隆 訳)(2010)、「上級マクロ経済学 原著第3版」、日本評論社

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