ここまで、家計の経済状況の違いを考慮して金融政策分析を行う枠組みの、いろいろなチャネルをみてきたわけですが、実際、こんなに細かいチャネル分割は意味があるのでしょうか。Slacalek, Tristani, and Violante(2020)では、欧州中央銀行が政策金利を引き下げた時の消費喚起の効果を、ドイツ、フランス、イタリア、スペインの4ヵ国について、これまで挙げてきた各チャネルにわけて実証的に分析しています。
図1が各国の結果で、ちょっとわかりにくいのですが、IESが異時点間代替効果、NIEが金利エクスポージャー・チャネル、incomeが労働所得の効果、Fisherがフィッシャーチャネル、housingとstockがそれぞれ住宅価格と株価の上昇を通じた効果(資産構成の異質性チャネル)になります。また、ここでは推計結果を、保有する流動資産が少なく、かつ非流動資産の保有も少ないPoor-hand-to-mouth家計と、保有する流動資産は少ないものの、非流動資産は多く保有しているというWealthy-hand-to-mouth家計、流動資産を十分に保有するNon-hand-to-mouth家計、そして1国の合計ベースについて表示しています。結果をみると、まず各国とも、Non-hand-to-mouth家計では異時点間代替効果が中心となり、Poor-hand-to-mouth家計とWealthy-hand-to-mouth家計では、それ以外の効果が中心となっていることがわかります。
また、Poor-hand-to-mouth家計とWealthy-hand-to-mouth家計の消費の反応が国によって大きくばらつきがでていますが、論文では、これは金融政策に対する住宅価格や雇用などの反応の違いからくるとしています。マクロでみても、ドイツやフランスといった、金融政策に対する雇用や住宅価格の反応が比較的低い国では、異時点間代替効果が主要な効果となり、そうではないイタリアやスペインでは、それ以外の効果がむしろ主要な効果として計測されています。こうした違いは、代表的な家計を考える従来型のニューケインジアンモデル(Representative Agent New Keynesian (RANK) Model)では、以前(「所得や資産の違いを分析に取り込む:Heterogeneous Agent New Keynesian (HANK) Model(2024/07/12)」)も触れた通り、ほぼ全てが異時点間代替効果となることから、みることができないと思います。
図1.これまでのチャネルを考慮した欧州中央銀行の金融政策の波及効果の計測

(出典)Slacalek, Tristani, and Violante(2020)
ここまでの分析結果をみる限りでは、金融政策の波及効果は資産状況の違う家計の間で異なっており、そのことを考慮することはある程度意味があるように感じられます。このほかにも、Haldane(2014)やBIS(2021)では、経済格差が中央銀行の政策決定や金融政策の効果に影響を及ぼすと指摘しているほか、O’Farrell,Rawdanowicz, and Inaba(2016)では、経済格差が拡大すると、過度な借入に頼る家計を増やすことになり、(金融引き締め時に)家計発の金融危機リスクが高まるため、金融政策の手足を縛りうるということや、ゼロ金利制約に直面する局面では、金融政策が資産価格に与える影響が大きくなるため、資産格差が金融政策の効果に与える影響が大きくなることを指摘しています。
金融政策の効果を分析した研究として、例えばAwazu et al.(2022)では、OECD20か国の分析と、米国の州ごとの実証分析から、所得格差が大きいほど、金融政策が実体経済に波及する効果が弱まるとしています。Ma(2023)では、金融政策が家計の労働供給に及ぼす効果に着目し、Heterogeneous Agent New Keynesian (HANK) モデルによる分析を行っています。一般に、労働者にとって働いてもいいと思える最低賃金を留保賃金(例えば佐々木(2011)参照)といいますが、例えばChang and Kim(2006)などで、これが家計間で異質性があることが指摘されています。Ma(2023)では、この留保賃金が家計間で異なる経済を考えたHANKモデルを構築し、所得格差が小さい経済では、金融政策に対するマクロでの家計の労働供給の弾力性が大きくなり、これは金融政策の実質的な効果を高める一方、フィリップス曲線はフラット化すると指摘しています。一方で、ユーロ圏内各国について実証分析したAlmgren et al.(2022)では、流動性制約にある家計の割合が大きい国ほど、金融政策の効果が強まると報告しており、カナダについて分析したAlves and Acharya(2024)でも、同様の指摘をしています。
次回以降は、家計の効用を最大化する最適な金融政策はどういったものなのかを分析する研究や、Slacalek, Tristani, and Violante(2020)や次回以降紹介する最適な金融政策の研究は、いわゆる伝統的な金融政策という、政策金利の変動を通じて政策を行う方法を分析していますが、金融政策には他にも非伝統的金融政策と呼ばれる、より最近開発されたものもあり、こういった政策の効果の分析でも、どのような新しい発見があるのかについて整理したいと思います。
また、例えば米国が近年進めてきたような、金融引き締め(金利の引き上げ)によってインフレ率を下げるような場合を考えると、全てのモノやサービスが一律に価格上昇を低下させるわけではなく、実際には大きく下げるものもあれば、そうではないものもあり、大きく下げるようなものの購入割合が高い人の場合には、実際に世の中で言われているインフレ率の低下以上に、モノやサービスの価格低下を受けることになるわけですが、こういったことから来る家計の消費への影響(の異質性)は一般には考慮しないことが多いのですが、近年少しずつ分析が進められていることもあり、少し整理したいと思います。さらに、インフレ予想についても、家計の間で違いがあることが知られており、例えば同じタイミングで、将来かなりのインフレになると予想する家計と、そうは思っていない家計がいる場合に、インフレが来ると思っている家計は現在の消費を増やし、一方でインフレが来ないと予想する家計は特に消費が変わらないというようなことが起こる可能性があると考えられますが、こうしたインフレ予想の違いが経済状況の違う家計間でみられる可能性があることや、インフレ予想の違いが家計の消費行動にどのような影響を及ぼすのかについても、少しずつ分析が進んでいるため、整理したいと思います。このほかには、以前の投稿(「もう1つ脱線をします-長期停滞について3(2024/10/25)」)でもみた通り、経済格差とマクロ経済の関連性は様々指摘されていますが、こうした研究のうち、比較的最近のものを少し整理しようと思います。
このほか、金融政策が所得格差や資産格差に影響を及ぼす(拡大するか、縮小するか)かどうかについて分析した研究も、さまざま行われています。今回はこうした文献は扱いませんが、例えばColciago, Samarina and Haan(2019)やKappes(2021)がそういった研究をまとめているので、興味があればご覧いただければと思います。
因みに、経済成長が経済格差に及ぼす影響についてもいろいろなことが言われています。有名なものに、サイモン・クズネッツ氏が1950年代に唱えた、逆U字型仮説というものがあります(Kuznets(1955))。この考え方は、ある国の経済発展の初期には、所得の不平等度が相対的に高い工業部門のウエイトが農業部門よりも高まることから、国民の間の所得格差が拡大するものの、時間の経過とともに人々の工業都市への適応が進み、また低所得者層が政治的な発言力を増すことで法制度の整備も進んで、経済発展の後期には所得格差が縮小に向かうというものです。ただ、こうした考え方には、Barro(2000、2008)のように肯定的な見方もある一方で、懐疑的な指摘もあり、例えばDeininger and Squire(1998)では、クロスカントリーの分析から、各国に特有な効果をコントロールして実証分析を行うと、逆U字型仮説は棄却されるという結論を示しています。
また、この逆U字型仮説はその後、法人税率や所得税の最高税率を引き下げて、大企業や富裕層を儲けさせれば、富は低所得者層に向かって徐々に流れ落ち、国全体の利益となるとする、トリクルダウン仮説へと発展していきます。ただこの仮説についても、例えばDollar and Kraay(2001)では、92か国の長期的な分析を行い、経済全体が成長して平均的な所得が増えても、低所得者の所得はせいぜい所得全体の平均と同じ増加に留まり、そのため低所得者の所得全体に占めるシェアは高まらないと指摘しています。また、Ostry,Berg, and Tsangarides(2014)でも、Dollar and Kraay(2001)の結果を踏まえつつ、こうした経済成長が格差を拡大させるのか縮小させるのかについては、明確な答えをみいだすことができないとしています。
ここまでは、経済成長の果実としての所得が富裕層に偏った形で分配されるときに、そのことが最終的に格差の縮小につながるかどうかという議論でしたが、さらにそもそもトリクルダウン仮説で考えるような減税政策は経済成長をもたらすのかについても、懐疑的な指摘があり、例えばPiketty, Saez, and Stantcheva(2014)やHope and Limberg(2022)では、OECD18か国の長期データを用いた分析から、各国の富裕層減税は、所得格差を拡大させる一方で、経済成長の伸びにつながるという有意な関係は確認できないと指摘しています。
Almgren, Marrias, Jose-Elias Gallegos, John Kramer, and Ricardo Lima(2022).”Monetary Policy and Liquidity Constraints: Evidence from the Euro Area.”American Economic Journal: Macroeconomics,14(4),309-340.
Alves, Felipe Alduino, and Sushant Acharya(2024).”How Changes in the Share of Constrained Households Affect the Effectiveness of Monetary Policy.”Bank of Canada Staff Analytical Note No.2024-3.
Awazu, Luiz, Pereira de Silva, Enisse Kharroubi, Emanuel Kohlscheen, Marco Lombardi, and Benoit Mojon(2022).”Inequality Hysteresis: and the Effectiveness of Macroeconomic Stabilisation Policies.”Bank for International Settlements.
Barro, Robert J.(2000) “Inequality and Growth in a Panel of Countries.” Journal of Economic Growth,5(1), 5–32.
Barro, Robert J.(2008) “Inequality and Growth Revisited.”Asian Development Bank Working Paper Series on Regional Economic Integration No.11.
BIS(2021).”Annual Economic Report.”Bank for International Settlements.
Chang, Yongsung, and Sun-bin Kim(2006).”From Individual to Aggregate Labor Supply: A Quantitative Analysis Based on a Heterogeneous Agent Macroeconomy.”International Economic Review,47(1),1-27.
Colciago, Andrea, Anna Samarina and Jakob de Haan(2019). “Central Bank Policies and Income and Wealth Inequality: A Survey.” Journal of Economic Surveys,33(4),1199-1231.
Deininger, Klaus, and Lyn Squire(1998).”New Ways of Looking at Old Issues: Inequality and Growth.”Journal of Development Economics,57(2),259-287.
Dollar, David, and Aart Kraay(2001).”Growth is Good for the Poor.”World Bank Policy Research Working Paper WPS2587.
Haldane, Andrew G.(2014)”Unfair Shares.” speech at the Bristol Festival of Ideas Event on May21.
Hope, David, and Julian Limberg(2022).”The Economic Consequences of Major Tax Cuts for the Rich, Socio-Economic Review, 20(2),539–559.
Kappes, Sylvio(2021).“Monetary Policy and Personal Income Distribution: A Survey of the Empirical Literature.” Review of Political Economy ,35,211 – 230.
Kuznets,Simon(1955).”Economic Growth and Income Inequality.”American Economic Review,45(1),1-28.
Ma,Eunseong(2023).”Monetary Policy and Inequality: How Does One Affect the Other?”International Economic Review,64(2),691-725.
O’Farrell, Rory, Lukasz Rawdanowicz, and Kei-Ichiro Inaba(2016).”Monetary Policy and Inequality.”OECD Economic Department Working Papers No.1281.
Ostry, Jonathan D., Andrew Berg, and Charalambos G. Tsangarides(2014).”Redistribution, Inequality,and Growth.”IMF Staff Discussion Note 14/02.
Piketty, Thomas, Emmanuel Saez, and Stefanie Stantcheva(2014).”Optimal Taxation of Top Labor Incomes: A Tale of Three Elasticities.” American Economic Journal: Economic Policy, 6 (1), 230–271.
Slacalek, Jiri, Oreste Tristani, and Giovanni L. Violante(2020).”Household Balance Sheet Channels of Monetary Policy: A Back of the Envelope Calculation for the Euro Area.”NBER Working paper No.26630.
佐々木勝(2011)、「賃金はどのように決まるのか-素朴な疑問に答える」、『日本労働研究雑誌』No.611、労働政策研究・研修機構、4~13頁
コメントを残す