前々回はニューケインジアンモデルをみましたが、実はこのモデルにも懸念点があります。基本的なニューケインジアンモデルは、最終的にIS曲線、ニューケインジアン型のフィリップス曲線、金融政策関数という3本のマクロの式になります。この中で今、フィリップス曲線をみてみると、
インフレ率=β×来期の期待インフレ率+b×需給ギャップ
もしくは
インフレ率=β×来期の期待インフレ率+b×実質限界費用(定常均衡値からの乖離幅)
という式になります(因みに、βは割引因子)。この式の何が問題なのか、ということですが、1つ重要なのは、この式からは、インフレ率に慣性が生じないということがあります。ただ、現実の経済を考えると、インフレ率が慣性を持つということは十分に考えられます。
こうした点については敦賀・武藤[2008]でサーベイがされていて、ニューケインジアン型のフィリップス曲線を推計した実証分析でも、推計方法によって結果が異なっていると指摘しています。例えば、比較的初期の推計であるGali and Gertler[1999]では、一般化積率法(GMM)を用いて米国の推計を行っていますが、ここではフィリップス曲線のあてはまりは比較的良好という結果が得られています。ただ、その後最尤法や割引現在価値法(これは、上記のフィリップス曲線をみると、インフレ率は将来の実質限界費用や需給ギャップの割引現在価値で書くことができますが、過去のデータを用いて、この式のあてはまりを検証するという方法)を用いた推計が行われ、そこではフィリップス曲線のあてはまりは悪く、インフレ率を説明する上で、バックワードルッキングな要素が重要になる可能性があると指摘しています(各々の推計方法については敦賀・武藤[2008]を参照)。
そうした中、ニューケインジアン型のフィリップス曲線にバックワードルッキングな要素を追加する理由が、様々考えられてきました。第1の仮説としては、Gali and Gertler[1999]が導入したもので、企業は毎期一定の確率で価格変更できるものの、価格改定の機会を得た企業のうちの一部は、必ずしもフォワードルッキングに価格を決定せず、単純に過去の物価水準に基づいて、経験則に従って価格を決定するとしています。一部の企業が過去の物価水準に基づいて価格設定するとすれば、インフレ率が部分的には過去のインフレ率の影響を受けることは、直感的にも容易に理解できます。ただ、多くの研究者は、この仮説は理論的根拠が不十分であるとしています。その理由は、企業が価格改定のチャンスに遭遇しているにも関わらず、期待利潤を最大化するような価格設定をあえて行わないことに関して、十分な理論的な説明がされていないためです。
第2の仮説としては、企業は毎期一定の確率で価格を最適に変更できるが、最適な価格改定を行えない場合には、企業は価格改定を全く行わないのではなく、自己の価格を無条件に過去のインフレ率の分だけスライドさせるというものです。これはChristiano,Eichenbaum, and Evans[2005]等で導入されたもので、価格改定に関するバックワードルッキングインデクセーションの仮説と呼ばれています。この仮説の下では、一部の企業がインフレ率のラグ項に応じて(すなわちバックワードルッキングに)価格を決定するため、フォワードルッキング項とバックワードルッキング項が入った、ハイブリッドなニューケインジアン型のフィリップス曲線が導出されることが明らかになっています。ただ、この仮説についても、理論的にみると、インデクセーションを行う企業が、なぜ当期のインフレ率ではなく、過去のインフレ率にスライドするかが明らかでないという問題が指摘されています。また、多くの研究者(例えばWoodford[2007])により、ミクロデータにおいて観察される企業の価格設定行動と整合的でないとして、実証的側面からも批判があります。
こうした中、フォワードルッキングなインフレ予想の形成方法を見直すというアプローチがあらわれました。つまり、標準的なニューケインジアンモデルでは、企業がフォワードルッキングな期待形成を行う際、入手可能な全ての情報を用いて合理的期待を形成すると仮定しますが、これを見直し、インフレ予想がより粘着的になるようなメカニズムを導入しようというものです。以前の投稿(「少し脱線-景気循環理論について2(2024/12/20)」)でも、情報の不完全性を仮定したルーカスの研究がありましたが、様々なモデルが考案されています。
色々なモデルについては次回に回そうと思いますが、例えばそうしたものの中に、粘着情報仮説という、経済主体が期待形成を行う際に、情報収集には費用がかかることから、人によって情報を更新するタイミングが異なると仮定するモデルがあります。この場合のフィリップス曲線は、導出は今回はしませんが(Walsh[2017]の5.2.3を参照)、仮に同じタイミングで情報を更新した人が皆同じ価格を設定すると仮定すると、

となります。ここで、λは情報の粘着性の指標で、これが大きい程情報の更新が頻繁になります。また、αは係数、xtは需給ギャップです。この式をみると、インフレ率が、過去の時点での当期のインフレ予想に影響を受けることがわかります。
因みに、情報の不完全性を仮定すること以外にも、実質限界費用の計測を再検討することで、ニューケインジアン型のフィリップス曲線のあてはまりが改善しないかという研究も行われており、フィットが改善すると指摘するものもあります(詳細は敦賀・武藤[2008]を参照)。また、基本的なニューケインジアンモデルでは、ゼロインフレを定常状態として導出していますが、Cogley and Sbordone[2005]では、インフレ率のトレンドがゼロでない可能性を考慮してインフレ動学の構造モデルを導出すると、バックワードルッキングインデクゼーションなどのインフレの慣性を生じさせる構造的要因がサポートされないと指摘しています。さらに、Coenen,Levin, and Christoffel[2007]やSheedy[2007]では、毎期一定の確率で価格を変更するというCalvo[1983]型の粘着価格モデルを、価格を改定していない期間の長さ次第で価格改定の確率が異なるように一般化して実証分析を行うと、インフレの慣性の存在を、粘着価格モデルの中で説明することができると報告しています。
Calvo,Guillermo(1983).”Staggered Prices in a Utility-Maximizing Framework,”Journal of Monetary Economics,12(3),383-398.
Christiano,Lawrence,Martin Eichenbaum, and Charles Evans(2005).”Nominal Rigidities and the Dynamic Effects of a Shock to Monetary Policy,”Journal of Political Economy,1-45.
Coenen,Gunter, Andrew Levin, and Kai Christoffel(2007).”Identifying the Influences of Nominal and Real Rigidities in Aggregate Price-Setting Behavior,”Journal of Monetary Economics,54(8),2439-2466.
Cogley,Timothy, and Argia Sbordone(2005).”A Search for a Structural Phillips Curve,”Federal Reserve Bank of New York Staff Report No.203.
Gali,Jordi, and Mark Gertler(1999).”Inflation Dynamics: A Structural Econometric Analysis,”Journal of Monetary Economics,44(2),195-222.
Sheedy,Kevin(2007).”Intrinsic Inflation Persistence,”mimeo.
Walsh, Carl E.(2017).Monetary Theory and Policy Forth Edition,MIT Press.
Woodford,Michael(2007).”Interpreting Inflation Persistence: Comments on the Conference on “Quantitative Evidence on Price Determination”,”Journal of Money, Credit, and Banking,39(s1),203-210.
敦賀貴之・武藤一郎(2008)、「ニューケインジアン・フィリップス曲線に関する実証研究の動向について」、『金融研究』第27巻第2号、日本銀行金融研究所、65-100頁
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