ここでは、前回までの内容と関連のある話を、少しだらだらと補足してみたいと思います。Romer and Romer(2000)では、米国の民間のインフレ予想を計測した調査と、FRBのFOMCによる公開市場操作のための参考資料であるGreen Bookのインフレ率の予測を比較して、Green Bookのインフレ率の予測の中に、私的情報が含まれることを示しています。さらに、私的情報を用いた中央銀行のインフレ率の予測は、民間経済主体へのシグナルとして作用し、民間のインフレ予想の事後的な修正を促すことも指摘しています。つまり、中央銀行が景気が過熱している(インフレ率は上昇している)と判断して政策金利を引き上げることが、民間経済主体の景気過熱に対する認識を強めることに繋がり、彼らのインフレ予想が下がらず、むしろ上昇するということが起こりうる、ということになります。これは中央銀行の“情報効果”として知られています。このことを支持する研究として、Sims(2002)ではFRBの保有する私的情報(例えば価格改定に関する情報)が予測の優位性につながることを指摘し、Peek,Rosengren, and Tootell(2003)では、中央銀行が保有する銀行監督のためのデータが、中央銀行の情報の優位性に繋がっていると指摘しています。
*一方で、Hoesch,Rossi, and Sekhposyan(2023)では2000年代の中ごろまではこうした効果がみられたものの、そのころを境に、その後はみられなくなっていると指摘しています。より古い研究でも、Gamber and Smith(2009)では、Green Bookの予測誤差とSPFの予測誤差のギャップが、1994年以降縮小していると指摘しています。また、Green Bookの予測が正確であるのは短期の、インフレ率のみであると指摘する研究や(D’Agostino and Whelan (2008))、逆に長期の予測のみGreen Bookの予測が正確であるとする研究(Paul(2019))、失業率の予測値を比較し、Green Bookと民間予想の予測誤差が、ほとんど同じか、もしくは民間の方が僅かによいと指摘する研究があります(Baghestani (2008))。他の中銀をみてみても、カナダ中銀について、予測が民間よりも正確であるという結果が得られている一方で(Champagne,Poulin-Bellisle, and Sekkel (2020)、Binette and Tchebotarev(2017))、ECBの研究では、翌年のインフレ予想が民間とそれほど違いがないとする研究(Hubert (2015)、Lambrias and Page(2019))や、長期の予想については、民間の方が正確であるとする指摘(Kontogeorgos and Lambrias(2022))があるほか、イングランド銀行についても、1年先のインフレ率と経済成長率の予測は民間よりも正確であるが、1年先の失業率や消費・設備投資の成長率の予測、さらに2年先の予測については、民間の方が正確であると指摘する研究があります(Independent Evaluation Office(2015))。
また、前回の投稿でも少し触れましたが、経済主体がインフレ予想を構築する際には、他者がどのように考えているのかということが重要な要素の1つとなります。仮に合理的期待形成仮説が成り立っている場合には、各経済主体は他者のインフレ予想を知っていますが、そうでない場合には、私的情報の関係で、他者のインフレ予想はわかりません。ただ、Townsend(1983)では、経済の中に合理的期待形成を行う経済主体が含まれる場合、各経済主体が他者のインフレ予想を予想する行動をとる結果、最終的にマクロでも、合理的な期待均衡に収束することを示しています。
*ただ、Townsend(1983)では、保有する情報の違いがインフレ予想の異質性を生むとして考えていますが、Haltiwanger and Waldman(1985,1989)では、ある経済主体はモデルと整合的な計算手法をとる(この場合には合理的期待形成となる)のに対して、一方でより直感的な期待形成を行う経済主体(この場合は合理的期待形成とはならない)も存在すると仮定し、分析結果として、後者の経済主体はTownsend(1983)のような動きはみせず、マクロでも、後者の経済主体が戦略的補完性を通じて無視できない影響を及ぼし、合理的期待均衡の経済状態への収束が妨げられることを示しています。両者の違いを生む原因は、後者のタイプの経済主体が、合理的な計算式に則って期待形成を行うか否かにあり、Townsend(1983)の方では、情報は不完全なものの計算式は合理的であるため、合理的期待形成仮説に従う経済主体のインフレ予想を予想することで、最終的に合理的な期待均衡に到達しますが、Haltiwanger and Waldman(1985,1989)では、計算式が合理的なものではないため、合理的な期待均衡に到達しないことになります。
さらに、この他者の予想を考慮するという部分をもう少し考えてみると、ある経済主体が他者の予想を考慮して予想を形成する、そのもとになる“他者の予想”も各々にとっての他者の予想を考慮して予想を形成する、そのもとになる“他者の予想”も各々にとっての他者の予想を考慮して予想を形成する…というように、無限の連鎖を引き起こすことがわかります。これはPhelps(1983)で重要性が指摘され、Woodford(2003)が定式化を行いました。つまりこの考え方では、経済の中の一部の主体がマクロ経済の変化を捉えて予想を変更したとしても、それが広く波及して、合理的期待形成仮説が成り立つ状態と同じ状況になるまでに、ある程度の時間がかかることになります(合理的期待形成仮説が成り立っている場合には、全ての経済主体が同時にマクロ経済の変化を捉えるため、一斉に予想が変わります)。
少し視点を変えて、Grossman and Stiglitz(1980)では、情報効率的な市場(完全情報の市場)が成り立つのかどうかを考えています。完全情報であれば、市場参加者は、市場均衡価格のみで合理的な期待形成を行うことができるのですが、仮に全ての参加者が、市場均衡価格のみに基づいて期待形成を行おうとすると、市場均衡価格が持つ情報集約機能が上手く作用しなくなってしまい、市場均衡価格にノイズが生じることになります。結果として、市場参加者は自前の情報を加えて予想を行うようになりますが、一般に自前の情報を獲得するにはコストがかかるため、コストと得られる利益のバランスがとれるところまでしか情報の精緻化は行われず、市場の効率性も完全に効率的になることはないとしています。
Amato,Morris, and Shin(2002)では、中央銀行のコミュニケーションのあり方に応用しています。仮に中央銀行が、金融資産均衡価格から情報を抽出して金融政策にいかす状況を考えます。論文ではこうした場合、金融市場の参加者は自前の情報ではなく金融政策において中央銀行が発する情報に依存して、金融資産価格形成を行うようになります。そのため、金融市場には情報集約機能が働かなくなり、均衡価格の持つ情報がノイズを持つようになるため、中央銀行としては、自前の情報を獲得する必要性が生じることになります。そのため、中央銀行のコミュニケーションは、一方向ではなく、双方向に行うことが最適となるとしています。
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