経済格差と金融政策(1)

現在、先日掲載した“ミクロ情報を踏まえた世界と経済政策-1人1人が違う世界の金融政策(1)”の続編のための調査を行っています。そこで、頭を整理する意味でも、ブログの形で少しずつ書いてみようと思います。(2)では具体的にこうした世界をみていこうという回なのですが、本文でも紹介したような、家計の所得や資産・負債の異質性が金融政策の効果に違いを生むような世界-これは標準的なニューケインジアンモデルでは表現することができず、HANK(Heterogeneous Agent New Keynesian)モデル経済で表現することができる世界ですが-が実際どのようになっているのか(存在するかどうかも含めて)を計測する研究として、経済格差と金融政策の研究をみていこうと考えています。

経済格差は昔から注目されていて、Piketty(1997)では所得格差を、Piketty(2013)では所得格差と資産格差を分析しています。このうち、Piketty(2013)では経済格差を縮小・拡大させる力について指摘をしています。経済格差を縮小させる力としては、知識の普及と訓練や技能への投資をあげています。ただ、この力にはリスクもあり、適切な訓練への投資が行われない場合には、経済成長の果実からある社会集団がとりのこされてしまう可能性があるとしています。

では、こうした投資を積極的に行っていると考えられるのは、いわゆる先進国ということになりますが、これらの国では経済格差は縮小しているのかというと、近年は拡大傾向にあることがデータで示されています。その要因として、Piketty(2013)では、一部の大企業のトップ経営者の報酬が、(生産性とは関係なしに)非常に大きくなっていることや、20世紀の前半に民間財産の水準の国民所得に対する比率が大きく低下したものが、20世紀の後半になって、上昇傾向にあることに着目し、先進国が低成長経済に陥る中で、資本収益率が経済成長率を上回る状況(r>g)が続き、経済格差の拡大に繋がっていると指摘しています。最後の話は当時非常に話題になりました。

経済格差の拡大要因としては他にも、技術革新がもたらした技術格差(Bound and Johnson(1992)、Acemoglu(2002))、グローバリゼーション(Feenstra and Hanson(2003), Furceri and Loungani(2015))、自動化などによる中間層の労働の代替(Acemoglu(2021))、労働組合の弱体化(Jaumotte and Osorio-Buitron(2015))や人口動態(Karahan and Ozkan(2013))などがあげられており、現在も研究が進められているところです。

(注)因みに、一般的に自動化は、中程度のスキルの労働者の仕事を代替するといわれていて、例えば情報技術の導入に関する研究(Autor and Dorn(2013)、Goos,Manning, and Salomins(2009))や産業ロボットの導入に関する研究(Graetz and Michaels(2018)、Acemoglu and Restrepo(2020)、Dauth et al.(2021))で指摘されています。この理由について、Autor(2014)では、事前にスキルの習得を必要としない(低スキルの)作業の場合、人間が行う際には詳細を決めずに担当者がその場の判断で行うようなものも多い一方で、中程度のスキルの労働の場合には、定型化された認知能力を繰り返し用いる業務が多くなることから、より自動化に適しているとしており、一般的にもよく説明に用いられています。一方で、より最近の研究では、低スキル労働の自動化が進めづらい原因は、賃金水準に対して技術の導入コストが高いためであり、導入コストが低下すれば自動化が進むと指摘するものもあります(Acemoglu and Loebbing(2022))。

こうした状況の中、政策が経済格差に影響を与えるのではないかという指摘も様々行われています。一例として、Blanchard and Rodrik(2021)では、経済格差の拡大に対して有効な政策について幅広く検討を行っており、具体的には、資産税の導入などによる累進課税の強化、教育投資とイノベーションを通じた中間層へのサポート、労働組合の強化のような労働者の賃金交渉力を引き上げる取組みなどが有効ではないかと指摘しています。

一方で金融政策については、世界金融危機の際の大規模資産購入政策を巡って、この政策が経済格差を拡大させたのではないかという指摘がされるようになりました。例えばAcemoglu and Johnson(2012)では、ニューヨークタイムズに投稿したコラムの中で、中央銀行は金融セクターの有力者やその他の富裕層に有利になるような政策運営を行っている可能性があると指摘しています。また、Stiglitz(2016)では、理論モデルを用いた分析を行い、金融政策が資産(特に土地)価格の上昇をもたらし、富裕層に利益をもたらすと指摘しています。

中央銀行サイドの発言をみてみると、Bullard(2014)では、大規模資産購入政策が経済格差を拡大させたという考え方に、否定的な意見を述べています。Bernanke(2015)でも、金融政策が格差に影響を及ぼすことは認めつつも、格差の拡大・縮小のどちらに作用するのかについては定かではないとしています。さらにDraghi(2016)では、失業率の改善を通じて貧困層に恩恵をもたらす、つまり経済格差が縮小する方向に作用すると指摘しています。

こうした状況の中、これまで様々な実証分析が行われてきました。

もう1つ、異なる視点として、経済格差が拡大すると、金融政策の運営や効果に、どのような影響が及ぶのかについても、関心が示されています。こういったことは金融政策に限らず注目されており、例えばSanchez-Anocochea(2020)では、不平等の(経済的・政治的・社会的)コストと表現し、ラテンアメリカについて分析を行っています。

中央銀行に関連するものとしては、例えばRajan(2010)の指摘があります。ここでは米国経済の分析を行い、1980年代に経済格差が拡大して以降、米国政府が低所得者に対して、住宅ローンなどによる貸し付けを促進する政策を過剰に進めた結果、低所得層が過剰な債務を抱える構図ができてしまい、それが世界金融危機の一因になったと指摘しています。

ここで指摘する構図は、金融政策にとっても非常に問題で、例えばこのことを知らずに、資産バブルが起きているからと金融引き締め政策をとった結果、金融危機に陥るというリスクも考えられますし、ほかにも実際になんらかの理由で金融危機が生じた時に、予想以上の消費の落ち込みに直面するといったことが起こりうるというわけです。

さらにいえば、HANK的な世界では、金融政策の波及効果は、各家計の所得や資産・負債の状況に影響されるため、経済格差が拡大した結果、マクロベースの金融政策効果がどうなるのかというのも興味をもたれているところといえます。

今回はこうした研究をみていきたいと考えています。まずは、金融政策が経済格差にどのような影響を与えるかという研究をみていきたいと思いますが、その前に、まずは推計手法やデータなどについて、整理したいと思います。

参考文献

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Acemoglu, Daron(2021).”Could We and Should We Reverse(Excessive)Automation?” in Olivier Blanchard and Dani Rodrik (eds), Combating Inequality:Rethinking Government’s Role,MIT Press.

Acemoglu, Daron, and Simon Johnson(2012). “Who Captured the Fed?” New York Times,March 29.

Acemoglu, Daron, and Jonas Loebbing(2022).”Automation and Polarization,”NBER Working Paper No.30528.

Acemoglu, Daron, and Pascual Restrepo(2020).”Robots and Jobs: Evidence from US Labor Markets,” Journal of Political Ecnomy,128(6),2188-2244.

Autor,David(2014).”Polanyi’s Paradox and the Shape of Employment Growth,” NBER Working Paper No.20485.

Autor, David, and David Dorn(2013).”The Growth of Low-Skill Service Jobs and the Polarization of the US Labor Market,”American Economic Review,103(5),1553-1597.

Bernanke, Ben S.(2015).“Monetary Policy and Inequality,” Ben Bernanke’s Blog, June 1.

Blanchard, Olivier, and Dani Rodrik(2021).Combating Inequality:Rethinking Government’s Role,MIT Press(月谷真紀 訳、『格差と闘え:政府の役割を再検討する』、慶應義塾大学出版会、2022年).

Bound, J, and G Johnson(1992).”Changes in the Structure of Wages in the 1980’s: an Evaluation of Alternative Explanations.” American Economic Review,82(3),371-392.

Bullard, James(2014).“Income Inequality and Monetary Policy: A Framework with Answers to Three Questions,” Speech at C. Peter McColough Series on International Economics, Council on Foreign Relations, June 26.

Dauth, Wolfgang, Sebastian Findeisen, jens Suedekum, Nicole Woessner(2021).”The Adjustment of Labor Markets to Robots,”Journal of the European Economic Association,19(6),3104-3153.

Draghi, Marion (2016), “Stability, Equity and Monetary Policy” 2nd DIW Europe Lecture.

Feenstra, R. and G. Hanson (2003), “Global Production Sharing and Rising Inequality: A Survey of Trade and Wages,” Chapter 6 of Part I in K. M. Choi and J. Harrigan (eds), Handbook of International Trade.

Furceri, Davide, and Prakash Loungani (2015). “Capital Account Liberalization and Inequality,” IMF Working Papers 2015/243, International Monetary Fund.

Goos, Maarten, Alan Manning, and Anna Salomons(2009).”Job Polarization in Europe,” American Economic Review,99(2),58-63.

Graetz, Georg, and Guy Michaels(2018).”Robots at Work,”Review of Economics and Statistics,100(5),753-768.

Jaumotte, Florence, and Carolina Osorio Buitron(2015).” Power from the People: The Decline in Unionization in Recent Decades has Fed the Rise in Incomes at the Top.” Finance and Development,52(1),29-31.

Karahan, Fatih, and Serdar Ozkan(2013).”On the Persistence of Income Shocks Over the Life Cycle: Evidence, Theory, and Implications,” Review of Economic Dynamics, 16(3),452-476.

Piketty, Thomas(1997). L’ ÉCONOMIE DES INÉGALITÉS, La Découverte(尾上修悟 訳、『不平等と再分配の経済学-格差縮小に向けた財政政策』、明石書店、2020年).

Piketty, Thomas(2013). Le Capital au 21e Siècle, Seuil(山形浩生・守岡桜・森本正史 訳、『21世紀の資本』、みすず書房、2014年).

Rajan, Raghuram G. (2010), Fault Lines: How Hidden Fractures Still Threaten the World Economy, Princeton University Press(伏見威蕃・月沢李歌子 訳、『フォールト・ラインズ:「大断層」が金融危機を再び招く』、新潮社、2011年).

Sanchez-Anocochea, Diego(2020). The Costs of Inequality in Latin America: Lessons and Warnings for the Rest of the World, I B Tauris & Co Ltd(谷洋之・内山直子 訳、『不平等のコスト:ラテンアメリカから世界への教訓と警告』、東京外国語大学出版会、2025年).

Stiglitz, Joseph E.(2016).”New Theoretical Perspectives on the Distribution of Income and Wealth Among Individuals,”in Joseph E. Stiglitz and Kaushik Basu (eds.) Inequality and Growth: Patterns and Policy Volume I: Concepts and Analysis, Palgrave Macmillan.

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