“財政政策”の分析について調べてみる⑤-財政政策による景気刺激策の効果の分析(4)

今回は、家計の方のミクロ的な違いについてみていこうと思います。こうした特徴をモデルの中で取り込むためには、標準的なニューケインジアンモデルである、代表的家計を考えたモデル(Representative Agent-New Keynesian Model: RANK Model)ではダメで、Heterogeneous Agent-New Keynesian Model(HANK Model)を用いて行います。

以前の投稿(“財政政策”の分析について調べてみる②-財政政策による景気刺激策の効果の分析(1)(2025/10/16))では、代表的家計のモデルを用いて財政乗数を考えましたが、HANKモデルを用いた推計も行われています。

例えばHagedorn,Manovskii, and Mitman(2019)では、価格の硬直性、賃金硬直性を考慮したHANKモデルを用いた分析を行っています。論文では、インパクト時点の乗数は1.34、長期の乗数は0.55になるとしています。前々回の投稿(“財政政策”の分析について調べてみる③-財政政策による景気刺激策の効果の分析(2)(2025/10/29))でまとめた実証分析の結果と比べると、インパクトの乗数は少し大きいですが、長期の乗数は同じくらいといえそうです。

また、論文では中央銀行をモデルに追加したバージョンの推計も行っています。中央銀行は、いわゆるテイラールール(実質金利、インフレ率、GDPギャップに基づいて中央銀行が設定すべき政策金利を決めるためのルール。当該論文ではインフレ率のみ考慮)に従って金融政策を行うとしています。推計結果は、インパクト時点の乗数は0.66、長期の乗数は0.29となっています。今度は、インパクト乗数は実証分析と同じくらいで、長期の乗数は実証分析よりも少し低くなっています。推計値が最初のケースよりも低くなったのは、政府支出によってインフレが発生した時に、中央銀行が金融引き締め政策を行うためです。

この結果をみる限り、HANKモデルの推計値は実証分析と大きくは違わないように見えるので、RANKモデルともそれほど違わないように見えます。ただ、消費喚起の経路は大きく異なっています。HANKモデルの場合には、国が発行した国債を富裕層が購入し、一方で消費喚起の効果は主に所得の低い層でみられます。所得の低い層については、所得が増えた際に、それを貯蓄に回さずに消費する割合は大きくなることから、いわゆる限界消費性向が高くなるといった特徴があります(限界消費性向については管理人(2025)も参照)。

こう考えると、こうした所得の低い層への恩恵が大きくなるような政府支出を行うことができれば、より効果は大きくなるかもしれません。例えば、Baqaee(2015)では、政府支出の効果を考える時に、各産業への直接的な効果に加えて、投入・産出構造を通じた間接的なネットワーク効果も考えるべきであるが、その際に、労働者の限界消費性向の異質性や、限界消費性向が高いのは資本家よりも労働者であり、そういった層に収益のどの程度が渡るのか(労働分配率)といった要素も考慮するべきであるとしています。また、Guerrieri et al.(2020)では、当時流行していた新型コロナウイルス感染症の研究を通して、限界消費性向が高い労働者を抱えるセクターが閉鎖されると、政府支出の効果が低減すると指摘しています。

一方で、家計間の異質性としては所得構成の違いだけを考えて、むしろ全体に対して同じように適用される、価格の硬直性や賃金の硬直性の役割に注目した研究もあります。

Broer,Krusell, and Öberg(2023)では、家計を労働者と資本家という分け方で考えたHANKモデルを構築しています。モデルでは、労働者は賃金から収入を得ており、一方で資本家は企業の利潤(つまり配当)から収入を得ているとしています。また、モデルの中では、価格の硬直性と賃金の硬直性の度合いを自由に調節できるようにしている他、金融政策ルールとしてテイラールール(論文ではインフレ率のみ考慮)を考えています。加えて論文では、このモデルのRANKモデルバージョンも構築していて、この中の代表的な家計は、賃金と利潤の両方から利益を得ているとしています。

まず、価格・賃金が共に完全に伸縮的な場合についてみてみると、財政出動が価格・賃金に対する上昇圧力になるため、労働者・資本家双方の所得の上昇圧力になるのですが、価格の上昇に伴って、テイラールールに従って(緊縮的な)金融政策が行われ、それが結局総需要を下げることになり、財政乗数は1を下回るとしています。

次に、価格が完全に硬直的で、賃金が完全に伸縮的な場合についてみてみると、今度は価格が完全に固定されているので、金融政策は動きません。ただこの場合、賃金は伸縮的なので、一方で価格は硬直的であることから、賃金収入は上昇するのに対して、配当収入は、企業にとっては売り上げ以上に費用(賃金)が上がりやすい環境になるので、下がってしまいます。RANKモデルでは、代表的家計が賃金と配当の両方から収入を得ているため、配当収入の低下が、代表的家計の労働時間の増加に繋がることになり、最終的に財政乗数は1になります。一方でHANKモデルについては、RANKモデル程はこの効果が働かず、財政乗数は1を下回るとしています。

次に、価格は完全に伸縮的で賃金が完全に硬直的な場合についてみてみます。この場合には、賃金の硬直性が価格の上昇(インフレ)を抑制するため、緊縮的な金融政策が働かず、労働時間が増加して企業の売上も伸びるため、財政乗数は1になるとしています。価格と賃金が共に完全に硬直的な場合についても、やはり財政乗数は1になります。

図1.価格・賃金が完全に伸縮or硬直的な場合の財政乗数

(出所)Broer,Krusell, and Öberg(2023)をもとに筆者作成

論文ではさらに不完全な価格・賃金硬直性が入っている場合の推計も行っています。長期の財政乗数をみると、やはり賃金硬直性が入った時に大きくなるという結果が得られています。

図2. 財政乗数

(出所)Broer,Krusell, and Öberg(2023)をもとに筆者作成

ここまで、2種類のHANKモデルの研究をみてきましたが、最初に紹介したHagedorn,Manovskii, and Mitman(2019)は主に需要側、消費者としての立場での個々の違いに着目して消費への影響をみていたのに対して、今回の論文では供給側を通じた消費への効果という観点から分析しているのが特徴です。

さて、折角この流れできたので、1つだけ話を追加しようと思います。何かといいますと、“流動性の罠”に関する研究になります。因みに、流動性の罠というのは、経済環境としては景気後退やデフレの状況であり、なお且つ金融政策もゼロ金利制約に陥っていて、十分な緩和が行えない状況になります。

実は、“流動性の罠”に関する理論的な研究では、財政乗数について、通常の場合とは異なる知見が指摘されています。これはEggertson(2011)などで指摘されていることなのですが、こうした論文では、価格が完全に硬直的な経済では財政乗数が1なのですが、そこから不完全な価格の硬直性にしていくと、財政乗数は1よりも大きくなることが知られています。

なぜそのようなことが起こるのかというと、それはこの場合の経済状況と関係しています。流動性の罠の状況というのは、経済は落ち込んでいて、デフレの状況であり、さらに金融緩和も不十分という状況になります。こうした状況の場合、政府支出を行うことは、現在の経済だけではなく、将来の景気見通しについても大きく影響する、というのが論文の主張になります。

具体的には、将来的なデフレを予想していたのが、インフレの予想に変わるわけですが、経済学にはフィッシャー方程式(名目利子率=インフレ予想+実質利子率)というものがあり、流動性の罠の状況で名目金利が0に固定されている中で、インフレ予想が急に上昇することは、実質利子率の低下を意味します。Eggertson(2011)のモデルは価格の硬直性(のみ)を仮定するRANKモデルを用いた分析を行っているのですが、この場合、家計の消費は異時点間の代替効果を通じて実質金利の影響を受けるため、通常では、景気の見通しはそこまで影響を受けないので起こらないことですが、この場合は現在の消費が強く引き上げられることになるとしています。

この効果は、完全に価格が硬直的な場合にはさすがにみられず、その場合には財政乗数は1なのですが、そこから徐々に不完全な価格硬直性に移行するに従って、この消費喚起効果が加わって、財政乗数は1を上回るとしています(ただし、完全に価格が伸縮的な経済になると、財政乗数は1を下回るという、不連続も指摘されています)。

ただ、以前の投稿(“財政政策”の分析について調べてみる③-財政政策による景気刺激策の効果の分析(2)(2025/10/29))でもみましたが、実証的には金融政策がゼロ金利制約にある場合の財政乗数というのは、そんなには大きくならないという研究成果が示されています。つまり、実証的には、通常の場合も、流動性の罠の場合も、財政乗数はそんなに違いはないはず、ということになります。実はこのことを理論的に説明しようと試みた研究文もあって、先ほどのBroer,Krusell, and Öberg(2023)が研究しています。先ほどもみた通り、論文では価格の硬直性・賃金の硬直性を考慮したHANKモデルを用いて分析を行っているのですが、この場合には通常のケースと同様、インパクト時点の財政乗数は1.39程度になるとしています。

財政乗数の値が1を超えてしまっているのでややこしいですが、論文のHANKモデルを用いると、通常の場合と流動性の罠の場合とで財政乗数はほとんど変わらなくなるというもので、そうなる理由として、論文では、先ほどの異時点間代替効果を通じた増幅効果が弱まるからだとしています。なぜかといいますと、HANKモデルの場合には、所得の多い人も少ない人もモデルの中にいることになりますが、異時点間代替効果というのは、金利が下がると(将来使うはずの)貯蓄をとりくづして、現在使う金額が増えるという効果なのですが、所得が低い人の場合、そもそも貯蓄があまりない人や、貯蓄はあっても予備的貯蓄が多くなっているような人になるため、こうした人達の場合には、実質金利が下がっても、異時点間代替効果はそれほど大きくなくなってしまうためです。

ただ、この結果はHANKモデルならば必ず成り立つのかというと、そうではありません。Bilbiie(2021)でも、HANKモデルを用いた分析を行っているのですが、ここでは、所得格差や所得リスクがCountercyclical な場合には、財政乗数の増幅効果はRANKモデルよりもさらに大きくなると指摘しています。例えば所得格差がCountercyclical な場合というのは、景気が拡大する時に所得格差が縮小するということですが、この場合には予備的貯蓄をしている人の消費が増えたりと、異時点間代替効果が強まることが考えられます。

実はこの最後の話は、他でも非常に似た話があって、いわゆる“フォワードガイダンスパズル”というものの話になります。これは管理人(2025)の13~15頁あたりで扱っているのですが、この問題というのは、中央銀行が将来的に金利を低く保つことを約束する、いわゆるフォワードガイダンス政策を行う場合、これはインフレ予想の上昇につながるため、やはり異時点間代替効果から消費喚起の効果が期待されるのですが、RANKモデルでこの程度を推計すると、大きくなりすぎてしまうというものになります。それに対して、HANKモデルを用いて、異時点間代替効果が効きづらくなるような所得の低い家計を直接モデルに入れるようにすることで、消費喚起の効果が下がるのではないかという研究がされているのですが、ここでも、所得格差や将来の所得リスクがCountercyclical な場合には、逆に強まると指摘しています。

これらの研究はともに“流動性の罠”に関連したテーマであり、セットでこんな研究ねと扱われることもあるみたいです。

(注)因みに、こうした流動性の罠関連の“パズル”は他に、(例えばインフレ率が目標水準を下回る時に)政策金利の引き上げが短期的にはインフレを引き起こす可能性があるというNeo-Fisherian effects (Benhabib, Schmitt-Grohe, and Uribe(2002)など)、標準的なNKモデルにおいて、ある条件下ではファンダメンタルズに変化がなく、つまり純粋に期待によって、ゼロ金利制約を伴う長期均衡が発生する可能性があるという概念を指すSunspot-driven LTs (Benhabib, Schmitt-Grohe, and Uribe(2002)など)、長期均衡で価格の柔軟性が高まると、より大きなデフレと景気後退につながって、経済が悪化するという特性の、The paradox of flexibility (Eggertsson and Krugman(2012))などがあります。

参考文献

管理人(2025)、「ミクロ情報を踏まえた世界と経済政策-1人1人が違う世界の金融政策(1)」、本ブログ

Baqaee, D. R.,(2015). “Targeted Fiscal Policy”, mimeo.

Benhabib, J., Schmitt-Grohe, S., and Uribe, M.(2002), “Avoiding Liquidity Traps”, Journal of Political Economy,110(3),535-563.

Bilbiie, Florin O.(2021).” HALT: Heterogeneous-Agent Liquidity Traps,”mimeo.

Broer, Tobias, Per Krusell, and Erik Öberg(2023). “Fiscal Multipliers: A Heterogeneous‐Agent Perspective,” Quantitative Economics, Econometric Society,14(3),799-816.

Eggertsson, Gauti B.(2011).”What Fiscal Policy Is Effective at Zero Interest Rates?,” NBER Chapters, in: NBER Macroeconomics Annual 2010,25,59-112.

Eggertsson G. and P. Krugman(2012),”Debt, Deleveraging, and the Liquidity Trap: A Fisher Minsky-Koo Approach,” Quarterly Journal of Economics, 127(3), 1469-1513.

Guerrieri, V., G. Lorenzoni, L. Straub, L., and I. Werning(2020). “Macroeconomic Implications of COVID-19: Can Negative Supply Shocks Cause Demand Shortages?” NBER Working Papers No.26918.

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