“経済成長”について考える(1)

最近の経済に関する様々な議論をみていて、本当にいろいろな政策議論がでてきますし、興味も湧くわけですが、色々とみていてやっぱり思うのは、“経済成長って大事だな”という感想です。

本当にしょうもない感想ですが、“マンキュー経済学Ⅰ(第5版)入門編“の第3章でも、有名な英国の小説家、ジェイン・オースティンがこう言っています。

“私がいままで耳にしたなかで、幸福への最良の秘訣は高所得である”

私が初めてこれをみた時に、率直にまず思ったのは、“わかんないけど、なんかこういうのいいな”という感想でした。ただ、同時に、何とも言えない説得力みたいなものも感じました。

今この言葉を思い返して、最初に頭に浮かぶのは、小・中学校時代に社会科の先生が経済成長の例として話していた、“今と昔の生活の違い”に関する話です。

インターネットで調べてみると(調べ学習 昔のくらしと今のくらしをくらべてみよう(https://kids.gakken.co.jp/jiyuu/category/research/compare_old_present_life/))、こんな例が示されています。

昔:電気はなかった。部屋の明かりは灯油のランプ。エアコン・せん風機はないので、暑い日は風通しのよい場所で涼んだ。冷蔵庫はないので、スイカなどを井戸につるして冷やしたりした。暖房は、薪をくべる暖炉。

今:電気が通っていて、いろいろな家電製品があるので、とても便利。

この方法は経済成長の良さを直感的に伝える良い方法だと思いますし、他にも、著名な歴史家である、ロバート・J・ゴードンが“アメリカ経済 成長の終焉”という著書の中で、アメリカの1870年と1940年の住環境を比較して、こんなことをいっています。

“1870年から1940年にかけて……住宅と設備は革命的といえる変化を遂げた。…..農民は、開拓地の泥小屋や丸太小屋などの原始的な住宅から頑丈で広々とした住宅に住むようになった。…..アメリカの都市の住宅は、数十年のうちにネットワーク化され、二度と繰り返すことができないほど大きく変貌した。ろうそくやケロシンで灯を取り込むのではなく、各家庭は電力ネットワークにつながり、室内は電灯で照らされ、家電製品を増やしていった。…清潔な水を供給する上水道と、使用した汚水を排出する下水道という2つのネットワークが徐々にできあがっていった。暖房に関しては、富裕層の住宅では1880年以降、労働階級の住宅では1910年以降、全館暖房(セントラル・ヒーティング)が導入された。”

実は、なかにはあまり自分はここでは書けないと感じるような、割と生々しい表現もあるのですが….でも、非常にわかりやすい説明です。さらに、ここでは、こんなことも言っています

“ネットワーク化とは、そもそも平等である、ということだ。富める者も貧しい者も皆、おなじネットワーク-電気、上水道、下水道、ガス、電話-のネットワークにつながる。貧困層は、富裕層がつながってから何年も経ってからではないと費用を賄えないが、それでも最終的にはおなじサービスを享受できるのだ。ネットワークがなかった1870年には、富裕層は水や炭、薪を使用人に運ばせ、労働者階級や中産階級は、こうしたきつい肉体労働をみずからこなさねばならなかった。上水道が開通した当初、中上流階級の居住地に引かれた水は、労働者階級の居住地に引かれた水よりもきれいだったかもしれないが、こうした不平等も、都市部では1929年までにおおむね解消された。”

実際には、経済成長は不平等も生むわけですが、それでもこうした話は事実ですから、本当に当時の力強さが伝わってきます。こうなってくると、例えばこの時代の上下水道がどうやって作られたのか、なぜこんなことが可能になったのかみたいなことを調べたくなるのですが(今、上下水道の老朽化は日本で話題ですし、アメリカでもやはり重要なテーマみたいですし)、一方で、データや政策みたいなことをみていきたいという気持ちもあるので、今回はそちらをみていこうと思います。

経済成長に関して、もっとも有名で重要な指標といえばGDP(国内総生産)でしょう。この統計が一躍注目されるようになったのは、1929年に発生し、1930年代に猛威をふるった、大恐慌です。最初、この事態に対峙したアメリカ大統領は、ハーバート・フーバー大統領でした。

この人は、ハ―ディング、クーリッジと続いた1920年代の共和党大統領2代の下で商務長官を務め、経済政策の実務を担っていた方で、現在でいえばラトニック長官にあたる方になります。

その後、1928年の大統領選に出馬して、1920年代当時、アメリカは経済的な繁栄を続けていましたが、そうした中で、共和党が掲げる自由放任の原則の維持を訴え、圧倒的な支持を受けて当選しました。就任した1929年3月には、最初の演説で“永遠の繁栄”を約束しています。

世界恐慌は1929年10月に発生しましたが、フーバー大統領の政策理念は、政府は企業や個人の経済活動に介入してはならないという自由放任主義を堅く守るものであったため、また、不況自体が周期的なもので1年以内に回復すると予想していたこともあり、当初は政府による直接介入を避け、民間セクターの自発的な努力(ボランティアリズム)に期待していました。

例えば、“好景気はもうそこまで来ている(Prosperity is just around the corner.)”と繰り返し発言していたほか、“頑強な個人主義(Rugged Individualism)”を掲げて、連邦政府による直接的な個人救済は違憲であり、国民の自立心を損なうとして拒否していましたし、企業経営者に対し、労働者の購買力を維持するために賃金を下げないよう要請していました。

しかし、不況は長引き、恐慌の様相がよりはっきりしてきたため、1930年6月には国内産業、特に農業を保護する目的から、ストーム・ホーリー法という関税法を制定し、輸入農産物や工業製品に平均40%程度という高い関税を課しました。ただ、この政策は、結果的に諸外国からの対抗措置として報復関税が導入されてしまったため、アメリカの貿易は半分以下に落ち込み、世界全体でも貿易量の減少を招いて、恐慌をさらに悪化させることとなりました。因みに、この政策が、昨年トランプ政権による各国への関税の話が盛り上がっている際に、過去の反省として指摘されていたものになります(熊野(2025))。

また、金融政策についても、ドルの信頼を守るために、金本位制の維持と通貨価値の安定を最優先したため、金の海外流出を防ぐ目的から、景気後退期であるにもかかわらず金利を高く維持、あるいは引き上げました。特に1931年にイギリスが金本位制を離脱した際、FRBは過去最大級の公定歩合引き上げを行いましたが、こうした政策が結果としてデフレ圧力を強めました。さらに、通貨価値の操作は“社会主義への一歩”であるという考えももっており、景気刺激のための意図的なインフレや通貨発行に否定的という側面もありました。

その後、恐慌が長引く中で、フーバー政権では更なる対策を行っていきます。1931年には、世界的な経済崩壊の阻止を睨んで、ドイツの賠償金や第一次世界大戦の戦債支払いを1年間猶予するという、フーバー・モラトリアムという政策を打ち出しましたし、1932年に入ると、復興金融公社という、銀行や鉄道、その他の企業に直接融資を行う政府系機関を設立したり、連邦ホームローン銀行法という法律を制定し、住宅ローンのための資金を銀行に提供して、差し押さえを防ごうとしています。ただいずれも、政策の実施時期の遅れや、範囲・規模が限定的であるといったことから、効果は限定的なものにとどまりました。また、失業対策として、フーバーダムの建設など、大規模なインフラプロジェクトも開始しましたが、一方で、1932年には増税も行っており、やはり効果は限定的でした。さらに金融面としてもう1つ、通貨不足対策として、FRBが政府証券を担保に通貨を発行できるようにしていますが、いずれにしても、効果としては薄かったといえます。

そうこうしているうちに、フーバー大統領は1932年の大統領選挙において、民主党のフランクリン・ルーズヴェルト氏に敗れてしまします。

ルーズヴェルト大統領は、この終わりのない大恐慌に相対するにあたってより正確な経済の情報を必要とし、全米経済研究所(NBER)に国民所得(今でいうところのGDP)推計の依頼を行いました。実は、それはなぜかというと、フーバー政権の時には、経済データとして株価や貨物輸送量といった限定的なデータしかなく、状況の把握や説明力という点で十分ではなかったためです。この依頼を受ける形で、実際にアメリカの国民所得を推計したのが、ノーベル経済学賞も受賞した、サイモン・クズネッツでした。

クズネッツは1934年に最初のレポートを連邦議会に提出していますが、この中で、アメリカの国民所得が1929年から1932年で半減していることを示し、衝撃を与えました。ルーズヴェルト大統領はこの報告をもとに、いわゆるニューディ―ル政策を実施しています。

この政策は、それまでの自由放任主義を脱し、政府が経済に積極的に介入して“3つのR”、すなわち救済(Relief)、回復(Recovery)、改革(Reform)を実現するというものでした。

例えば、救済 (Relief)は、失業者や貧困層への直接的な援助に関する政策となっており、失業対策としては、公共工事を通じて仕事を作る“公共事業促進局(WPA)”や、若者に自然保護活動の仕事を与える“市民保全部隊(CCC)”を設立し、このうちWPAは850万人以上を雇用し、道路、橋、学校、公園などのインフラ建設を行いました。また、連邦緊急救済局(FERA)を通じて、食料や衣服、住居のための資金を貧困層に直接支援することも行いました。

回復 (Recovery)は、経済を正常な状態に戻すための対策で、例えば農家に過剰生産を防ぐために生産制限を求め、農産物価格を安定・上昇させた農業調整法(AAA)の制定や、企業間の過度な競争を制限するためのコード(規範)を策定し、最低賃金の導入や労働者の団結権を認めた全国産業復興法(NIRA)の制定を行ったほか、テネシー渓谷開発公社(TVA)を設立し、大規模なダム建設により、洪水防止と農地の灌漑、そして安価な電力を周辺地域に供給しました。

最後に、改革 (Reform)は、将来の恐慌を防ぐための制度変更で、例えば銀行制度の安定のために、就任直後の1933年3月にすべての銀行に対して4日間の休業を命じて(銀行休業日(Bank Holiday))、その後政府が健全と認めた銀行のみ再開の許可を行ったり、預金を保護する“連邦預金保護公社(FDIC)”を設立したほか、証券市場の規制として、株式市場の不正を防ぐため、“証券取引委員会(SEC)”を設立しています。また、1935年の”社会保障法”によって、高齢者への年金制度や失業者への手当、障害者への支援を導入しました。

銀行休業日の部分だけ、もう少し補足しますと、ルーズヴェルト大統領が就任した1933年初頭にかけて、相次ぐ銀行倒産を受けて国民の不安がピークに達し、預金を引き出そうとするいわゆる取付け騒ぎ(Bank Run)が全米で発生しました。このため、ルーズヴェルト大統領は、就任からわずか36時間後の3月6日未明に、大統領布告により全米の銀行に対し4日間の休業を命じました。そして休業期間中の3月9日に、連邦政府に銀行の再開・再編・解散を決定する強力な権限を与える緊急銀行救済法が制定され、その上で政府は銀行を“健全”、“再編が必要”、“破綻”の3段階に分類し、健全と認められた銀行のみ、3月13日から順次営業再開を許可しました。

さらに再開前夜の3月12日には、大統領自らラジオで炉辺談話(FDR’s First Fireside Chat)と呼ばれる有名な談話を行っており、“再開する銀行に預ける方が、タンスに隠すよりも安全である”と国民に直接語りかけました。こうした努力の甲斐あって、銀行が再開した初日、窓口には預金を引き出す人ではなく、逆に預け入れる人々の長蛇の列ができたほか、銀行再開後、最初の取引日となった3月15日、ニューヨーク株式市場は史上最大の単日上昇率を記録しました。

更にいえば、この銀行休業日の成功後には、先ほど述べた連邦預金保護公社(FDIC)の設立を行ったほか、一連の流れの中で、政府は金の私的所有を禁じ、実質的に金本位制から離脱して通貨供給の柔軟性を確保しています。

銀行休業日は、崩壊寸前だった米国の金融システムをわずか1週間で立て直した、ニューディール政策における最も劇的な成功例の1つとされていますが、一方で、連邦政府の介入の度合いが非常に強いという特徴もあります。こうした特徴はニューディール政策全体にみられる傾向で、アメリカ経済は1933年を底に回復に転じて、1939年には1929年の水準に戻っており、ニューディール政策は全般的に効果的であったといえるのですが、一方で連邦政府の介入は強まったといえます。

それでも、連邦政府にそうまでさせた(もしくはできた)理由の1つとしては、やはりクズネッツの衝撃的な推計というのがあるといえます。実際、クズネッツのレポートは販売もされ、不況期にも関わらずベストセラーとなっています。やはり正確な数値というのは、特に不況期には大きな役割を果たす、ということだといえます。

因みに、イギリスでは、コーリン・クラークが同様の推計を行っています。彼が推計を行ったのは実はクズネッツよりも前で、彼の推計手法をクズネッツは参考にしています。クラークの推計は、1930年に、イギリス初の公的な経済諮問機関である国家経済諮問委員会(National Economic Advisory Council)からデータ提供を依頼されています。

参考文献

熊野英生(2025)、「自滅に向かう選択、トランプ関税~賢者は歴史に学ぶ」、Economic Trends 2025/04/04、第一生命経済研究所

コイル・ダイアン(高橋璃子 訳)(2015)、『GDP<小さくて大きな数字>の歴史』、みすず書房

ゴードン・ロバート・J(高遠裕子・山岡由美 訳)(2018)、『アメリカ経済 成長の終焉 上』、日経BP社

調べ学習 昔のくらしと今のくらしをくらべてみよう(https://kids.gakken.co.jp/jiyuu/category/research/compare_old_present_life/

マンキュー・N.グレゴリー(足立英之・地主敏樹・中谷武・柳川隆 訳)(2024)、『マンキューマクロ経済学Ⅰ(第5版)入門編』、東洋経済新報社

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