“経済成長”について考える(8)

前回までは米国の80年代の経済政策についてみてきました。今度はそれ以外の国ということで、英国についてみてみようと思います。

英国の80年代の経済政策を語る上での重要人物は、なんといってもサッチャー首相です。この人は1979年~1990年まで英国の首相を務めましたが、その経済政策は、その後1997年まで政権を担った、同じ保守党のメージャー首相にも引き継がれ、更にいえば、現在に至るまで、多くの点で“経済政策の基本原則”となっています。特に、1997年~2010年の期間については、久々に労働党が政権を奪還し、ブレア、ブラウン首相によって経済政策が行われたのですが、この時の経済政策が保守党のサッチャー、メージャー首相の政策を踏襲(一部手を加えていますが)したものであったため、従来の労働党や西ヨーロッパ各国の社会民主主義政権が実施した福祉的なモデルとは違うということから(そして、もちろんサッチャリズムとも違うんだぞといいたいがために)、“第三の道”と名づけています。

(注)因みに、2010年以降の英国は、2024年までが保守党政権(キャメロン、メイ、ジョンソン、トラス、スナク)で、2024年から現在は労働党のスターマー政権になっています。

サッチャー政権の経済政策の基本理念は、1979年6月のハウ蔵相の演説で初めて明らかにされ、その要点は以下の4点となっていました。

① インセンティブの付与:国民が自分で稼いだものをより多く手元に残せ、それによって勤勉や才能・能力が報われるような財政上のインセンティブを付与する。

② 選択の自由:国家の役割を減少させて、個人の選択の自由の拡大を図ること。

③ 公共部門借入額の縮小:民間の商工業の活動余地を残すため公共部門への資金投入負担の軽減

④ 賃上げ及びインフレに対する労使双方の責任の自覚:団体交渉の当事者たる労使双方にその行動の結果を理解させるよう政府が努力すること

こうした基本理念の上で、具体的な政策も大きく4つに分類できます。

1つ目は、“インフレ抑制”を第一義として、(1)マネーサプライの計画的抑制、(2)公共部門借入額の計画的削減、(3)公共支出の縮小等が行われました。

2つ目は、“サプライサイド強化”のため、(1)国有企業の民間への払い下げ及び国有株式の放出等による民間私企業の自由な活動領域の拡大(第二次世界大戦後、英国では労働党政権下で鉄鋼業や石炭業、鉄道、電力、ガスなど多くの産業が国有化されましたが、効率性が悪く、労働生産性も低下し、巨額の補助金が必要となっていました)、(2)勤労意欲の増大や企業の積極的経済行動へのインセンティブ付与を目的とした、所得税減税(特に高所得者に対するもの)や企業・資本課税の優遇措置、(3)中小企業を主眼にした投資振興や生産性向上対策等が行われました。

3つ目は、“賃金・労働政策”として、求職者の自立を促すような政策を目指し、(1)労働党の基盤であり、当時非常に力を持っていた労働組合の組織力や交渉力を削ぎ落すことで賃上げ圧力を弱める、(2)公務員給料についてもキャップを設ける、(3)失業給付の切り下げ、(4)女性の保護規定の撤廃といったこと等を行いました。

4つ目は、“社会保障・教育政策”として、(1)学力向上のための教育改革の実施(“自主的な学校運営を促進”し、“親の学校選択を促進する”ような各種政策) や、(2)国民保健サービスや年金制度の縮小を行いました。

このうち、2つ目の“サプライサイドの強化”について、規制改革は航空、バス、電気通信、電力、天然ガス、水道、鉄道、トラック、石炭、証券・銀行、放送、など多岐にわたりました(具体例は江藤(2012)が詳しくまとめています)。一方で減税については、所得税や法人税の減税が行われた一方で、付加価値税の税率を引き上げたため、全体としては国民負担の軽減とはならず(江藤(2012)では神野直彦東大名誉教授の試算として、79年の国民負担率は36.7%なのに対して、89年は40.7%になったと紹介しています)、高所得者層の税負担を低所得者層に付け替えるようなものになったとしています。

3つ目の女性の保護規定の撤廃については、別に悪いことばかりではなく、例えば雇用・昇進等についての女性の差別規定を撤廃し、また、退職年齢も男女同じにしています。ただ一方で、女性の就業時間規制の撤廃も行い、深夜労働を可能としました。

こうした取組によって、インフレの抑制、労働生産性の向上、GDP成長率の増加、失業率の低下に繋がりました(ただし、1990年から91年あたりにかけては一時的に低下)。

ただ、一方で弊害も生じたとされ、江藤(2012)では、1979年以降、急激に所得格差が拡大したと指摘しています。

こうしたこともあり、1997年に誕生した労働党のブレア政権では、それまでの“市場経済”という土台の上に、“教育や医療への投資(公共サービスの充実)”と“最低賃金制度の導入”という社会民主主義的な要素を上乗せしました。つまり、サッチャー政権などが“個人の自助努力”を強調したのに対して、“機械の平等”の要素を追加したといえます。一方で、労働党政権になっても変わらなかったこともあり、例えば低インフレと財政規律という点では、ブレア政権は発足直後に中央銀行であるイングランド銀行に金利決定権を委譲し、政治主導のインフレを避ける仕組みを作りましたし、財政支出についても、抑制的な姿勢を保ちました。また、市場経済との関係についても、かつて労働党が行っていたような国有化政策はとらず、それまでの民営化の枠組みを踏襲しました(例えば、いわゆる金融ビックバンや製造業などでの外国資本の誘致をさらに促進し、英国をグローバル経済の拠点とする戦略を継続等)。さらに、労働組合についても、弱体化した権限を完全に元に戻すことはせず、むしろ雇用の流動性を重視し、企業が人を雇いやすい環境を維持することに努めました。

参考文献

江藤勝(2011)、「研究ノート 英国のニュー・レイバーの経済政策」、東京経済大学会誌271号、255-267頁

江藤勝(2012)、「研究ノート 英国のニュー・レイバーの経済政策(その2)」、東京経済大学会誌273号、177-195頁

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