今回は財政政策や金融政策の効果分析でなにかとでてくる、限界消費性向の話を少ししたいと思います。3回前の“乗数効果はどんなだったか?”でもみたように、例えばケインズ型消費関数C=c0+c1(Y-T)のc1にあたる、限界消費性向(所得が1単位上昇する時の消費の上昇額)は、財政政策・金融政策の分析で必ずといっていい程必要な数字ですが、この数字は基本的に単発のものとして計測します。
しかし、ノルウエーの宝くじの調査を分析したFagereng,Holm, and Natvik(2021)では、宝くじによる収入を得たその年の限界消費性向が高くなるという結果に加えて、その後数年にわたって、その効果が継続することを示しています。つまり、現実の経済では、財政政策の効果は決して単発ではなく、数年にわたって継続するということです。
これはなかなか深い意味を持ちます。つまり、財政政策を行った後の効果として、その効果が数年にわたって継続するということは、1つの意味合いとしては今日家計が得た給付金は、貯蓄することを通じて将来の消費に影響を与えますが、加えて、消費が増加するということは、それは国民所得の増加にも繋がることになり、財政政策後に増加した国民所得の一部が消費に回り続けることで、さらに消費喚起の効果が増幅することになります。さらに、家計がこうした国民所得の増加という将来のイメージを合理的に描けている場合には、そのことも、そうなる前の消費の喚起に繋がることになります。
こうしたことから、現在では、先ほどのFagereng,Holm, and Natvik(2021)のように、異時点間限界消費性向(Intertemporal Marginal Propensity to Consume: iMPC)を計測して、モデルに取り込むという研究が進められているようです。
因みに、今回のケースでも単発の効果のケースでも言えることですが、給付金政策の効果というのは、比較的所得の低い層を中心に引き起こされます。それはなぜかといえば、限界消費性向(つまりは、貯蓄に回さず消費する度合い)が高いからです。つまり、所得の低い層が国民所得の増加や消費喚起の増幅といった現象を引っ張る形になるわけですが、これは“トリクルアップ(trickling-up)”とも呼ばれています。
この“トリクルアップ”という用語は、あまり聞きなれないかもしれませんが、“中・低所得層支援を中心に据えて、経済を刺激しよう!”という、最近の日本の賃上げなんかの話をする時にたまに使っている人がいます。歴史的には、オバマ政権の経済政策を評して、クルーグマンが2016年9月17日のニューヨーク・タイムズ紙の寄稿の中で用いたのが有名です(Krugman(2016))。
オバマ政権の政策の特徴といえば、中・低所得層の“需要喚起政策”です。例えば、共働き・子育て世帯への減税や、オバマケアと呼ばれる医療保険制度改革、最低賃金の引き上げといった政策は、こうした層の需要喚起を目指したものといえますが、これらの政策の根底には、中間層を経済成長の原動力とする、“ミドルアウトエコノミクス(Middle-out economics)”という考え方があります。この“ミドルアウトエコノミクス”のナラティブは、バイデン政権でも頻繁に用いられました(例えばBiden(2021))。
実は、この“ミドルアウトエコノミクス”という考え方は、民主党系のスピーチライターのエリック・リュとベンチャー投資家のニック・ハナウアーが2012年にそもそも提起した議論で、そこでは、今日におけるアメリカの経済停滞の原因を、以前紹介した共和党のレーガン大統領以来のトリクルダウン経済学による富裕層優遇策だと強く批判しています(Liu and Hanauer(2013))。
レーガン政権以来の政策を思い返してみると、供給サイドを重視し、特に富裕層への減税や、事業に対する規制緩和で、労働や投資、企業に対するインセンティブを高めれば、大企業や富裕層から富むようになり、やがてその恩恵が中小企業や低所得層にも及ぶという考え方であり、“トリクルダウン経済学”と呼ばれていました。一方で、彼らが重視したのは、供給サイドではなく“需要サイド”で、対象も富裕層というよりは“中・低所得層”となっていました。このため、この政策はトリクルダウン経済学と正反対の考え方と位置付けられていたことから、クルーグマンの“トリクルアップ”という表現も生まれたといえます。
このトリクルアップ経済学の特徴は、消費需要やインフレ率が高い状態が維持されると考えられていて、典型的な例としては、2020年代最初の新型コロナウイルス感染症が流行していた頃の欧米経済があげられます。ただ、こうした政策は経済格差を縮小させる方向に向かうように思われるのですが、研究によっては、むしろ配った給付金やそこから派生する富は、低所得層ではほとんど使われてしまう一方で、企業経営者のような富裕層には最終的に蓄積され、資産格差の最終的な形としては、むしろ拡大するのではと指摘するものもあります(Auclert, Rognlie, and Straub(2023))。
そう考えると、例えば給付や減税によって消費を喚起する場合、そうした富は一番は企業に溜まりやすいということでしょうから、それがある程度、しっかりと賃金に回るような仕組みや、企業間でも、中小企業にも利益が回るような取組み、あと、それでも富裕層への配当に回ったり、企業に滞留する分は、金融所得課税や法人税みたいなもので、バランスをとっていくというのも、セットで考えていかなければならないのかもしれません。まあ、現実は複雑ですね…..
話がだいぶ逸れましたが、一番は、“異時点間の限界消費性向(iMPC)”が流行っているという話でした。最後に、Fagereng,Holm, and Natvik(2021)のデータ分析の結果を、モデルで再現するとどうなるのかというのをAuclert,Rognlie, and Straub(2026)という論文が載せています。
図1. Fagereng,Holm, and Natvik(2021)の結果をモデルで再現すると..

(出典)Auclert,Rognlie, and Straub(2026)
これをみると、Representative Agentモデル、これは要するに標準的なモデルのことですが、このあてはまりは最悪ということがわかります(因みに、青の結果がデータです)。一方で、Heterogeneous Agentモデルを用いた結果のあてはまりはすごく良いということになります。
参考文献
Auclert, A., M. Rognlie, and L. Straub(2023). “The Trickling Up of Excess Savings.” AEA Papers and Proceedings, 113, 70–75.
Auclert, A., M. Rognlie, and L. Straub(2026). ” Understanding the Macroeconomic Implications of Heterogeneity,” The Reporter No.1 2026, National Bureau of Economic Research.
Fagereng A, MB Holm, and GJ Natvik(2021),”MPC Heterogeneity and Household Balance Sheets,”American Economic Journal: Macroeconomics, 13(4),1–54.
Liu, E. and N. Hanauer(2013), “’Middle-Out’ Economics: Why the Right’s Supply-Side Dogma Is Wrong,” The Atlantic, July 24, 2013.
Krugman,P.(2016).” Obama’s trickle-up economics,” NewYork Times September 17 2016 (https://www.heraldtribune.com/story/opinion/columns/more-voices/2016/09/17/krugman-obamas-trickle-up-economics/25429240007/).
コメントを残す