今回は“流動性の罠”の続編として、これを金融政策的にどう解決するかを扱った研究をみてみようと思います。
前回みた通り、中央銀行が貨幣供給を増やすと、ダブついた貨幣が債券購入に向かって、それが債券価格の上昇、利子率の低下に繋がり、そこから企業の設備投資需要の増加や雇用・国民所得の増加に繋がるわけですが、これは貨幣需要の増加も引き起こして、債券需要の低下・利子率の上昇、そして設備投資需要・国民所得の低下というクラウディング・アウトを生じさせるわけですが、“流動性の罠”の状態では、貨幣需要の利子率に対する感応度が無限に大きいため、このクラウディング・アウトが完全に金融緩和の効果を打ち消してしまうことになります。
つまり、中央銀行が貨幣供給を増やし、市場のメカニズムに任せる形で経済を刺激しようとしても無理ということになるのですが、こうした時の解決策として、1つは財政政策を行うというのがあります。これは前々回の投稿でみたのですが、流動性の罠、つまり利子率に対する貨幣需要の感応度が無限に大きい場合、財政政策では、金融政策とは異なり、クラウディング・アウトが生じません。そのため財政政策ならば、景気刺激が可能ということになります。もう1つの方法が、量的緩和政策(Quantitative Easing: QE)というもので、これは、通常の金融緩和が、債券需要の増加を通して利子率を低下させようという考えであるのに対して、中央銀行が市場に出回っている債券を直接買い取ることで、むしろ債券供給量を減らしてしまい、それによって債券価格の上昇・利子率の低下を引き起こそうというものです。加えて、この際に中央銀行は、将来的にある程度の期間利子率を低い水準に保ち続けるという約束を行い、政策の効果がより高まるように補強することも行います。
Adrian et al.(2026)という論文では、このQE政策を、前回の投稿までで用いたものと比べてさらに高度な、DSGEモデルを用いて分析を行っています。DSGEモデルは、家計や企業の経済行動を、ミクロ経済学の理論に基づいてモデル化し、さらに政府や中央銀行の行動もモデル化して、一般均衡を求め、そこに経済ショックを加えた時の動学をみることで、分析を行っています。因みに、価格の決定は企業が行っており、経済環境の変化に対して、価格を変えたり、変えなかったりということがどう起こるのかを調節することで、価格の硬直性が決まってきます。
こうした基本的な仕組みに加えて、論文ではさらに、資本市場の分断、非線形な価格設定、認知的割引を組み込んでいます。
まず、最初の資本市場の分断ですが、標準的なDSGEモデルの場合、情報非対称性や取引費用が存在しない設定となっており、このため、企業は株式発行と借入のどちらで資金調達しても市場価値を変えることができず、金融構造や資本構成が実体経済(投資や消費、GDPなど)に影響を与えることができません。ただ、QEというのは、中央銀行が債券を購入して現金を債券の保有者に支払うオペレーションになるわけですから、そうやって債券量を減らしても、現金がその分増えているなら影響は出ませんというのでは、QEの効果を測ることはできません。
資本市場が分断されていると仮定し、専門的な金融機関のような一部の投資家しか特定の資産を扱えなかったり、資産間の入れ替えにコストがかかると考えることにすると、中央銀行が債券を購入することで、経済に影響を与えることができます。
2つ目が非線形な価格設定というものです。これは何かというと、先ほど、DSGEモデルでは、企業が価格を設定するメカニズムが組み込まれているといいましたが、企業の価格設定というのは、景気が非常に悪い時には、需要が少し増えたからといって、価格を簡単には変えたりしません。一方で、それほど景気が悪くなかったり、よくなってきたりすると、企業は指数関数的に価格を引き上げます。論文のモデルでは、こうした要素を追加的に組み込んでいます。
3つ目が認知的割引というものです。これは何かというと、標準的なDSGEモデルでは、家計や企業は経済の先行きを非常に合理的に捉え、それを自身の行動に反映させると考えています。先ほど触れたように、QE政策では、中央銀行はただ債券を購入するだけではなく、先行きの利子率の動向について、低く保つことを約束します。このことを合理的な経済主体を仮定した標準的なDSGEモデルで分析してしまうと、家計の消費の反応が実証結果よりも強く出すぎてしまうことが指摘されています。そうした場合の対処法の一つとして、管理人(2025)では、手持ちの資金(流動性)が限られており、そのため、経済の先行きを仮に合理的に捉えていても、それによっては消費行動が変わらない(手持ちの資金をその時の支出に充ててしまう)ような家計をモデルに組み込むというアプローチを紹介しましたが、ここではむしろ、家計がそもそも将来の経済動向をそんなに合理的に分析・把握するようなことはせず、もっと近くの情報に重きを置いて、消費の判断を行う(これを認知的割引といっています)というモデルの変更を行っています。
こうした条件の下で、QE政策の効果を分析したところ、論文では、“流動性の罠”の程度によって、その効果は異なる可能性があると指摘しています。
まず、流動性の罠が深く、深刻な景気後退に陥っている場合については、QE政策の効果は大きいとしています。というのも、景気後退が深刻な場合には、金融緩和によって価格が上昇する程度が小さく、その分数量面での増加が大きくなるため、景気回復の効果が大きく、税収も増加するとしています(政府債務比率が低下する効果も期待できると指摘)。また、もともとの景気後退が深刻であり、価格も上がりにくい状況にあることから、中央銀行の利上げもそれほど早い必要がない点もプラスに働くとしています。
一方で、流動性の罠の程度がそれほど深刻ではないような場合には、むしろ逆効果になる可能性があるとしています。つまり、この場合には、企業が比較的価格を上げやすい環境にあることから、金融緩和の効果が価格上昇で吸収される程度が上がるため、景気回復効果が弱まるとしています。また、金融緩和によって景気が過熱し、その対応にコストがかかるというリスクもあるとしており、具体的には、中央銀行の利上げのタイミングを早めて景気回復効果が短くなることや、中央銀行にとっては、利上げをすれば、金融機関に支払う利息(準備預金への付利)が、保有する国債の利回りを上回る可能性がでてくる(論文では、国債は固定金利としています)ほか、政府にとっても新規の国債の利回りが高くなるとしています。こうした作用によって、先ほどとは異なり、政府・中銀でみた債務が悪化してしまう懸念がでてきて、これが景気回復のメリットを上回ってしまう可能性があると指摘しています。
こうした分析を行ったうえで、論文では最後に、政策面での提言として、エスケープ・クローズ(Escape Clause:免責条項/脱出条項)を予め定めておくべきだと指摘しています。これは何かというと、中央銀行がQEやフォワードガイダンスを行う際に、“もし想定外のインフレがおきたら、予め金融緩和を長く続けると約束していたとしても、それを打ち切る”という条項を明示しておくというものです。
このメリットとしては、インフレが過熱してきた際に、中央銀行が利上げの初動を“スパッと”行うことができるというもので、それはさらにいえば、初動が早くなることで、その後の利上げのペースも緩やかなものになり、中央銀行や政府にとっても、損失が少なく済みます。また、利上げ前の段階で、マーケットの不安を取り除くことにも繋がると指摘しています。
最後のところは、そんなに上手くいくのかと思ってしまうところもありますが、ただ、①政策にはある程度の柔軟性が必要ということや、②一連の対応は、極力明文化した方がいいという考え方は、そうだなと思いますし、よく伝わってくる研究だなと感じます。
いずれにせよ、DSGEモデルを用いることで、いろいろと細かな分析が行えるということが、本研究からは伝わってきます。
参考文献
管理人(2025)、「ミクロ情報を踏まえた世界と経済政策-1人1人が違う世界の金融政策(1)」、本ブログ
Tobias Adrian, Christopher Erceg, Marcin Kolasa, Jesper Lindé, and Pawel Zabczyk(2026),”Macroeconomic and Fiscal Consequences of Quantitative Easing,” NBER Chapters, in: NBER Macroeconomics Annual 2026,41, National Bureau of Economic Research.
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